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井土朋厚さん

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こどもの夢を応援する株式会社代表取締役

「アイドルを“推す”ように、誰かの夢を応援する世界に」

「将来は社長になってお金持ちになる」。小学3年生のときに抱いたその野心は、やがて現実となる。「こどもの夢を応援する株式会社」代表・井土朋厚さんは、日本にデリバリー文化を根づかせ、成功と挫折の両方を経験した先で、“誰かの夢を応援する”という新たな使命にたどり着いた。その選択が示す、新しい豊かさのかたちとは。

History

これまでの歩み

1995年 21歳

「お金持ちになりたい」という夢を叶えるため、起業

小学3年生の時から、「将来は社長になりたい」と思っていました。目的は明瞭で、お金持ちになっていい車に乗って、いい服着て、女の子にモテたいという、男ならではの単純な動機から。

最初は何もスキルも実績もないですから、訪問販売から始めて、とにかくいろんなことを試しましたね。極端に言えば、犯罪以外のことは全部やりました(笑)。

その中で、LED表示器の訪問販売をメイン事業にしていました。例えば、飲食店などによくある、文字が流れる看板ですね。販売代理店ではありましたが、売り上げが全国1位になることができました。それで、25歳の時には年収3,000万円以上は稼げるようになっていました。

2000年代 20代後半

お客さんに言われた「ありがとう」に感動

20代後半、事業が拡大する一方で、銀行からいくらでもお金を借りられる状況に乗って多角化を進めた結果、ほとんどの事業がうまくいかず、会社は倒産寸前。複数の負債を抱え、資金繰りにも追われる、かなり追い詰められた時期でした。

そんな中でふと、「自分は何のために経営しているのか」と考えるようになったんです。以前は迷わず「お金のため」と言えていたのに、そのときはそれだけではない気がしていて。

転機になったのは、たまたま始めていたデリバリー事業での出来事です。800円のお弁当を届けたお客さんから、「美味しかったよ、ありがとう。また頼むね」と声をかけられたんです。その一言が、すごく嬉しかった。

これまで“いくら儲かったか”でしか仕事の価値を測ってこなかった自分にとって、その「ありがとう」はまったく別の種類の喜びでした。
店に戻ってその話をすると、疲れきっていたスタッフたちがみんな笑顔になって、「よかったですね」と喜んでくれて。その瞬間、「あ、自分がやりたかったのはこれなんだ」と腑に落ちたんです。それをきっかけに、デリバリー事業以外はすべて手放し、事業を一本に絞る決断をしました。

2010年頃 30代前半

デリバリー事業のトップを目指すが……

当時はデリバリー事業というもの自体は存在しておらず、「デリバリーといえば、ピザ」という感じでした。そこで、僕らは「デリバリーを日本の新たな食文化にしよう!」と考えたんです。その当時の食文化は、お腹が空いたら自炊するか、外食するか、買いに行くかの3択くらいでしたから。

そして、デリバリー事業で日本一を目指して、2016年頃には上場に向けた最終段階に入っていました。最後に5億円の資金調達を行い、その資金で投資を加速させながら上場する。そんなシナリオを描いていたんです。実際、あるベンチャーキャピタルから5億円の出資の話も決まっていました。

ただ問題は、企業価値の評価。僕らが考える時価総額と、彼らが算定する時価総額に大きなギャップがあった。「5億出す代わりに、このくらいの株式比率をください」という条件に、どうしても納得がいかなかったんです。というのも当時、シリコンバレーでは僕らと同じデリバリー事業に何百億円規模の資金が流れ込み、急成長しているという情報を見ていたからです。「自分たちがやっていることは、もっと価値があるはずだ」と思っていました。ただ、それはネットの情報でしかない。そこで実際に確かめようと、シリコンバレーへ行きました。

現地で驚いたのは、デリバリー事業で時価総額1,000億を超える“ユニコーン企業”がすでに4社もあったことです。街には各社のロゴをつけた自転車やバイクが走り回り、セブンイレブンのおにぎり1個やスターバックスのコーヒー1杯でも、ほぼ手数料なしで配達している。どう考えても赤字なんです。

デリバリーは、1時間で3件運べれば優秀な配達員。仮に時給1200円なら、1件あたり400円ほどのコストがかかります。そのコストを回収しなければビジネスとして成立しません。それでも彼らは気にしていなかった。

そこで気づいたんです。

彼らは目の前の赤字や黒字ではなく、シェアを取りにいっているんだと。

すでに何百億、何千億という資金を調達しているため、短期の利益ではなく、市場を取ることに集中しているわけです。会社は資金がショートしなければ潰れません。極端に言えば、百年分の資金があれば百年赤字でも続けられる。Amazonも長い間そうでしたよね。

つまり彼らは「利益は後でいい。まずはシェアを取る」という戦い方をしていたんです。そもそも見ている世界が違いました。

そんな規模の違う世界を目の当たりにしたとき、初めて強い恐怖を感じました。もし日本一になって上場したら、後からこうした外資がどんどん入ってくる。その人たちと真正面から戦うことになるんだと。そこで2018年、会社を売却しました。結果的に、自分の判断は間違っていなかったと思っています。コロナ禍でデリバリー市場は大きく伸びましたが、その分、広告や資金力の戦いになった。もし続けていたら、今頃大赤字を抱えながら必死に戦っていた社長だったかもしれません。

2018年 44歳

カンボジアに移住

会社売却した2018年に、カンボジアへ移住しました。なぜカンボジアだったかというと、2012年に初めて訪れたときの体験がずっと自分の中から離れなかったからです。最初は貧困や家庭環境に恵まれない子どもたちに食を通じて何かしてあげたいと思って訪れたはずなのに、彼らは驚くほどキラキラしていて、むしろ自分のほうが元気や勇気をもらっていた。その感覚に、すっかり心を掴まれました。

活動を続ける中で、学校はあっても、家が貧しいために働かざるを得ず、通えない子どもたちが多い現実を知りました。そこで始めたのが、デリバリー1回につきお茶碗一杯分の米を寄付する「お茶碗一杯プロジェクト」です。自分たちのサービスを利用してもらうことで、誰かの食事にもつながる。お腹も心も満たされるような、そんな循環をつくりたいと考えました。

さらに、同じようにカンボジアで社会貢献活動されているワタミの渡邉美樹さんとの出会いも大きな転機でした。

「ここで一緒に事業をやらないか?」という言葉に背中を押され、子どもたちが将来働ける場所をつくるため、現地での事業にも関わるようになります。

日本で事業を続けながら、毎月のようにカンボジアに通い、家族も現地に移す生活を続ける中で、気づけば、「支援したい場所」ではなく「自分が生きたい場所」になっていたんです。そこで、会社売却というタイミングで、僕も完全にカンボジア移住しました。

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家族とカンボジアの孤児院で出会い、里親になった女の子(写真左)と

2020年 46歳

コロナ禍の影響で、帰国

カンボジアでの生活が気に入っていたので、日本に戻るつもりはなかったんです。しかしコロナが始まって、海外ですんでいられなくなってしまったので、家族全員、日本へ戻ることに。

戻ってからはあらゆる会社の顧問をしたり、社外アドバイザーのような仕事を多くしていました。約30年、成功も失敗も重ねながら経営というものを学んできたので、そのノウハウを伝えながら、企業成長のお手伝いをしていました。

2024年 50歳

「こどもの夢を応援する株式会社」を設立

顧問やアドバイザーとしての仕事は、企業にも喜んでもらえていましたし、自分自身もやりがいを感じていました。ただその一方で、「もう一度、自分で事業をやりたい」という気持ちが徐々に強くなっていきました。ただし、「儲かりそうだからやる」という理由だけではやりたくないな、と。そう思いながら、1〜2年ほど模索していた時期がありました。

転機になったのは、習い事でゴルフをしていた息子が石川遼選手と出会ったことです。プレーを見たり、写真を撮ってもらったことをきっかけに、息子のスイッチがバチっと入ったんです。自然とプロを目指したいという気持ちが強くなり、親としてもそれを全力で応援する中で、遠征やレッスンなどにお金も時間も、人脈も投資。できることはすべてやりました。

そこで感じたのが、夢を実現するには想像以上にお金や時間がかかるということ。

親の経済状況によって、子どもの挑戦できる機会に差が生まれてしまうということに気づきました。これはゴルフに限らず、スポーツや教育など、さまざまな分野で起きていることだと思います。

すべてを解決することは難しくても、この差を少しでも緩和できないか? そう考えたことが、「こどもの夢を応援する株式会社」を立ち上げたきっかけです。NPOではなく株式会社として、事業として成長させながら取り組んでいこうと考え、共感してくれた方々から資金を募り、現在に至ります。

現在

Vision Map

井土朋厚さんの未来地図

01

現在の活動内容は?

「F.LAB」という、高校生〜大学生が毎月100名ほど集まる無料のビジネススクールを運営しています。僕らのミッションは、一人でも多くの若者や子どもたちが夢や希望を持ち、それを実現できる社会をつくることです。

ただ現状、日本は18歳の段階で「夢を持っている」と答える子が少なく、さらに「自分で社会を変えられる」と思っている人も少ない。背景には、僕ら大人側の元気のなさもあるんじゃないかと感じています。だからこそ、この状況を少しでも変えていきたいと思っています。そのために大事なのは、早い段階で“本物の人や情報”に出会うことだと考えています。実際、僕の息子も石川遼選手に出会ったことで意識が変わりましたし、そういうきっかけで人のスイッチは入るものだと思うんです。

F.LABでは、そうした出会いの場をつくっています。高校生・大学生・社会人が混ざり合い、これまで接点のなかった人同士が出会う。そこで刺激を受けたり、「負けていられない」と思ったりすることが、次の行動につながっていくと考えています。

また、就活に対する課題意識もあります。多くの学生が「何をやりたいかわからないまま」就活に入り、企業側も「知ってもらえない」「採用しても辞めてしまう」といったミスマッチが起きている。だからこそ、早い段階で仕事や社会を知り、自分なりの軸を持てるような機会が必要だと思っています。

F.LABはまだ始まったばかりですが、参加している学生たちはすごく喜んでくれています。ここで何かを“教える”というよりも、出会いの中で自分なりのヒントを見つけてもらう場にしたい。

やりたいことが見つからないこと自体は問題ではないと思っています。ただ、何も行動しなければ何も変わらない。だからこそ、まずは動いてみる。そのきっかけの一つとして、F.LABが機能すればいいなと思っています。

また、「YumeOshi」という、夢ややりたいことを応援するプラットフォームも運営しています。アイドルを“推す”ように、誰かの夢をみんなで応援できる仕組みです。

スマホで簡単に無料ページを作ることができ、そこに対してワンコインから「頑張ってね」と応援が届く。手数料はなく、集まったお金の全額がそのまま本人に還元される形にしています。使い方も幅広くて、毎月の継続支援はもちろん、「大会や遠征費を集めたい」といったクラウドファンディング的な使い方や、自分でつくった商品の販売、イベントの集客などにも活用できます。

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「学生たちの様々な出会いの場になれば」と設立した「F.LAB」

02

活動の原動力は?

一度会社を売却してセミリタイアのような状態になったとき、残りの人生を何に使うかを考えました。その中で行き着いたのが、これからの日本をつくっていく子どもや若者を応援することでした。頑張っている人をみんなで応援し、結果を出した人をきちんと称える。「すごいね」と言い合える空気が広がれば、日本からもっと挑戦する人やスーパースターが生まれてくるんじゃないかと思っています。

大きなことができるわけではないかもしれませんが、誰かが夢を持つきっかけをつくったり、その挑戦を後押しできる存在でありたい。そんな思いでこの事業を続けています。

そしていつか、「あのきっかけはこの会社だったよね」と言ってもらえる瞬間があれば、それが自分にとっての何よりのやりがいであり、生きがいだと思っています。

03

描いている未来は?

目指しているのは、日本で最も若者やこどもたちに挑戦するきっかけを与える事ができる企業になることです。創業時から思い描いている象徴的なビジョンがあって、大谷翔平選手をドームに招いて、子どもたちの前でプレーを見せるようなイベントを実現してみたい。目の前で本物に触れることで、一瞬でスイッチが入る。そんなきっかけをつくりたいんです。とはいえなかなかすぐには難しいんですけどね。

直近で目指しているのは、日本で最も学生に影響力のある会社になることです。

「F.LAB」は大学生であれば誰もが知っている存在にしていきたいですし、「YumeOshi」も、より学生にフォーカスしたプラットフォームへと育てていきたいと考えています。


根底にあるのは、「応援する文化」をつくりたいという思いです。頑張っている人をみんなで応援し、挑戦して結果を出した人をきちんと称える。そういう空気が広がれば、もっと挑戦する人が増えていくはずです。今は、SNSなどで成功した人ほど叩かれやすい風潮もある。それを見た子どもたちが、「成功するとこうなるんだ」と感じてしまえば、夢を持つこと自体にブレーキがかかってしまうかもしれない。だからこそ、挑戦することが前向きに捉えられ、応援される社会をつくっていきたい。その一端を担える存在になれたらと思っています。

Essence

井土朋厚さんに10のQuestions!

Q1

最近、感動したことはありますか?

最近ですと、映画「栄光のバックホーム」を観た時です。

野球選手が病気と向き合うストーリーなんですが、あらためて「命は有限なんだ」ということを強く感じさせられました。同時に、自分にしかできないことに、ちゃんと向き合っていかないといけないなと。50歳を過ぎてみると、「人生って思っているより短い」と実感する瞬間が増えてきました。だからこそ、今自分が描いているビジョンに対して、1日1日を大事に、真剣に向き合っていきたいと思っています。映画の冒頭からずっと泣いてました(笑)。

Q2

ご自身はどんな人? 長所と短所を教えてください。

いつでもビジョンを語れます。おこがましいかもしれませんが、これは経営者として必要な資質であると思っていて、昔からそれはできるタイプですね。会社が潰れそうな時でさえ、ビジョンを語っていましたから。

短所は、継続力がないところですかね。

Q3

今の自分に点数をつけるとしたら?

120点と3点。

人生、いろいろありましたけれど、よく諦めずにここまでやってきたよな、と自分でも思ったりするので、そういった意味では120点。

でも、理想の自分に対しての評価としては、3点くらいです。

Q4

座右の銘を教えてください。

「相互成長」。

僕にとっての人生理念は、「誰かの成長に貢献すること」。これは前の会社の経営理念でもありましたし、今も変わらず自分の軸になっています。いまは特に、若者や子どもたちが主な対象ですが、自分との関わりを通じて、その人が何かに気づいたり、一歩踏み出したり、「成長できた」と感じてもらえることが、何より嬉しく、単純に欲求が満たされるんです。それは必ずしもポジティブな関わり方だけでなくてもいいと思っていて、「あいつには負けたくない」と思われるような存在でも、その人の原動力になれるなら、それも一つの価値だと思っています。人の人生に何らかのプラスの影響を与えられる存在でありたい。そして、お互いに刺激し合いながら成長していく関係性をつくっていきたい。

そのためにも、まずは自分自身が成長し続けていなければならないと思っています。

Q5

挫折しそうになった時、どうやって乗り越えましたか?

挫折しそうなときは、株主の顔を思い出すようにしていました。これまで何度も会社が厳しい状況に直面しましたが、もし会社が潰れてしまったら、自分を信じて支援してくれている人たちに対して顔が立たなくなってしまう。なので、株主の顔を潰さないためにも頑張ろう!と心を奮い立たせていました。

今の会社も、あえて最初に投資家から資金を集めました。同じような責任と緊張感の中に自分を置くことで、逃げ場をなくしたかったんです。プレッシャーを自分に課すことで、前に進む力に変えているのかもしれません。もしかしたら、そういう状況のほうが力を発揮できる、いわゆる“ドM気質”なのかもしれません(笑)。

Q6

「これだけは許せない!」というこだわりや想いはありますか?

やる前から「無理」ということです。

無理と決めたら確率は0%ですよね。

ただ、もしかしたらと思った時点で0.0000001%かも知れないけど可能性があるからです。

Q7

おすすめのビジネス書はありますか?

『思想は現実化する』(ナポレオン・ヒル著)。

この本は22歳の時に購入して以来、何度も読み返しています。

最近は「巨富を築く思考法」というタイトルで新たに監訳版が出ていますが、より読みやすくなっています。

もともとはアンドリュー・カーネギーの人脈をもとに、成功する人の共通点を長い年月をかけて徹底的に調べた内容がまとめられているんです。いわゆる「成功」とは何か、という視点で読むと、本当に多くのヒントが詰まっていると感じます。「成功」と「幸せ」は、少し違うものなんですよね。幸せって、極端な話、どんな状況でも“自分がどう感じるか”だと思うんです。たとえ豊かでなくても、本人が満たされていれば幸せと言える。一方で成功は、どこか他者の評価や社会的な基準と結びついている部分もあるじゃないですか。

「何かを成し遂げる」「目標を実現する」という意味での成功については、この本に本質が凝縮されているとも感じています。自己啓発の本はこれまでたくさん読んできましたが、結局はここに立ち返る、そんな一冊ですね。

Q8

死ぬまでに一度はやっておきたいことは?

妻と2人でお金と時間をまったく気にしない世界旅行をしたい。

Q9

井土さんにとって「夢」とは?

生きがい。

Q10

習慣にしていることはありますか?

絶えず先のことを考えること。

5年後、10年後のことを常に考えていますし、社員にも話します。デリバリー事業をしていた時も、会社が潰れそうになっているにも関わらず、「将来は200ヶ所に拠点を作るぞ!」と話していましたから。社員のみんなは「その前に今の状態をなんとかしてくれよ!」と思っていたと思いますけど(笑)。でも、そう言って実現しなかったらただの詐欺師になってしまうので、ビジョンを語ることで自分を鼓舞させているところはありますね。だからこそ、その言葉に引っ張られるように動いているのかもしれません。

※本記事の情報は、掲載日もしくは更新日時点のものです。(更新日: 2026年05月12日)

Profile

プロフィール

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井土朋厚/Tomohiro Izuchi

こどもの夢を応援する株式会社代表取締役

1974年 福岡市生まれ。小学3年生の時に将来社長になると決意し21歳で起業。LED表示器販売会社にて全国一位の販売会社を作る。その後「デリバリー革命を起こし、ニッポンにデリバリー文化を作る」というビジョンのもと、日本初のゴーストレストラン&宅配代行サービスを開始。上場準備をしていたが、急遽方針転換し上場企業に売却(宅配代行サービスは、現在出前館が事業承継)。現在は自身の子育て体験をきっかけに、「こどもの夢を応援する株式会社」を設立。「1人でも多くの若者や子どもたちが夢や希望を持ちそれが実現出来る社会を作る」というミッションの実現に向け、日々活動している。