地域のミューズを発掘するメディア
出島トンボロ株式会社代表
「長崎のオンリーワンづくり」。
そのコンセプトを掲げ、唯一無二のプロダクトを生み出す事業を展開しているのが、出島トンボロ株式会社を経営する林田真明さんだ。
東京でマーケティングを学び、ビジネスの現場を経験するなかで、「自分だからこそできることは何か」と向き合い続けた。その問いの先にたどり着いたのが、故郷・長崎という土地だった。内と外、過去と未来が交差してきたこの街で、地域の物語や素材をプロダクトへと翻訳し、世界と日本をつなぐ“媒介者”として活動を続けている。
これまでの歩み
もともとは、故郷の長崎でJリーグクラブの経営者になりたいと思っていたんです。学生時代はずっとサッカーをやっていたんですけど、自分達の街クラブからJリーグを目指すプロジェクトが出来て高校生の時に感動したことを今でも覚えています。ただ選手としてプロを目指すほどのパッションがあったわけではなくて、自分は当時のサッカークラブをつくろうというゲームに感化されて、事業で支える側になりたいと思いました。それで大学生のときに、教授に「将来、長崎でサッカークラブの経営をやりたいんです」と相談したんですよ。すると教授に、「林田くん、それならスポンサー営業が必要になるから、広告代理店に入ったらどう?」と言われて。なるほどな、と思いました。福岡にも代理店はあると思うんですけど、僕も田舎者なので、「じゃあ、東京っすかね!?」みたいなノリで(笑)、上京を決意しました。大学3年生のときに東京で就職活動を開始して、その後、新卒で広告代理店に入りました。
入社した会社では、健康食品や化粧品を扱う、いわゆるダイレクトレスポンスマーケティングの仕事が中心でした。そこで5年間ほどお世話なり、法人営業の基礎、広告代理店の基本的なノウハウを学ばせてもらいました。起業家を輩出するという企業文化があって当時在籍した時の上司5名全てが社長となって全国で活躍しています。私自身、地元・長崎を離れ、外の世界を知ったきっかけにもなりました。今でもお世話になっており頭があがりません。この時期がないと今の私は存在していません。
「いつかサッカークラブの経営をやりたい」という想いは、ずっとどこかにありました。ただ、その前に一度は自分自身で会社をつくって経営を経験しておいた方がいいんじゃないか、という発想で起業したんです。この時は長崎の文脈はゼロ。丁稚奉公で複数の事業会社、支援会社の方々にお世話になり独立時にない貴重な経験を積ませていただきました。
何か事業をやろうと考えた時にリサーチやマーケティングを重ねていく中で、最終的に当時たどり着いたのが郵送検診の事業です。郵送検診というのは、唾液を自分で採取して送ってもらい、それを研究所で分析して検査結果を返す仕組みで、当時はピロリ菌の検査を扱っていました。ただ正直に言うと、「事業のための事業」という感覚もあったんですよね。強い想いがあるわけではなくて、「自分がこれをやる必然性」がそこまで見えていなかった。だからこそ、資金調達の場面でもプレゼンが難しかったんです。自分自身が心から語れていない部分があるので。
そういったこともあって、リスクが大きく広がる前の段階で撤退することにしました。その後は通信販売会社の事業サポートなどをしながら仕事はしていたんですが、「これだ」と思えるものがないまま、しばらく過ごしていましたね。
九州を拠点に仕事をしていきたいと思い、Uターンに伴いまずは信頼できる高校のサッカー部で一緒だった川崎を第二創業期メンバーとして相談しました。シンプルに彼と話をしていたのは「おもろい事業をやろう、何か世の中に残せる事業をやろう」ということでした。この頃から、事業をつくるというよりも、生き方の延長として会社をつくる、という感覚を意識するようになりました。そこで考えたのが、長崎ならではの“オンリーワンのプロダクト”をつくって販売するという事業です。そうして社名を屋号変更しました。
会社名の由来にも、長崎らしさを込めています。「出島」は長崎を象徴する場所ですし、「トンボロ」は引き潮のときに島と島をつなぐ砂州のこと。長崎は日本一、島の数が多い県でもありますし、人と人、人と地域を繋ぐ事業という意味合いも込めてネーミングしています。地方企業として魅力的な存在になるには、実は“ファンタジー感”がすごく大事だと思っていて。僕の見た目はだいぶゴツいですけどね(笑)。最初は「出島の郷(さと)」みたいなノリの名前も考えていたんですが、鹿児島県や宮崎県っぽいねとなり、「長崎っぽいカタカナを入れよう」という話になって(カステラみたいな)、最終的に川崎がトンボロの概念を持ってきてくれて、「出島トンボロ」という名前になりました。そういう意味では、「出島トンボロ」という名前自体が、ひとつの作品づくりの始まりだったのかもしれません。そんな感じで、この事業がスタートしました。
林田真明さんの未来地図
01
故郷である長崎を拠点に、プロダクトや企画を通して、人と人、人と地域の「あいだ」をつなぐ活動を行っています。地域の世界観、素材や背景を活かした商品企画、そして企業や個人の想いを“伝わる形”に翻訳する仕事が主な活動です。
現在は佐世保の川棚の棚田米を活用して乳酸菌をコーティングした「腸活米」や、諫早での老舗『杉谷本舗』のカステラといった商品を販売しており、海外に向けた新商品の開発にも取り組んでいます。「長崎のオンリーワンをつくる」というのは、ひとつのテーマとして、わかりやすい言葉で掲げています。もちろん、市場調査や競合調査はすごく大事です。そこはかなりしっかり見ます。ただ一方で、最終的に大事になるのは“唯一無二感”だと思うんですよね。似たような商品がたくさんある中で、「これじゃないとダメだよね」と思ってもらえるものをつくれるかどうか。そこは、すごく意識しています。
長崎を拠点に選んだ理由は、故郷であることはもちろん、この場所自体が内と外、過去と未来が交わり続けてきた土地だからです。出島という歴史を持つこの街には、「つなぐ」という言葉を声高に語らなくても、もともとそうした構造が内包されていると感じています。出島トンボロの商品を通して、長崎という土地の空気や物語を感じてもらえたら嬉しいですね。
02
表裏一体の情熱です。過去に先輩起業家からもらったアドバイスです。やる前に、やるぞ!という前向きな表の情熱はあるのは当たり前、誰だって期待値を持って集まってくる。ただしやった後に、「もうだめだ……」という状態で、それでもなぜ続けるか、という自分に問いをたてられて動けるかが裏の情熱というそうです。それらをまわりに伝えることで本当に応援してくれる仲間や不思議な応援の追い風も出てくるものです。やっていてよい時も悪い時もあります、ただしどちらにしても当の本人の火が消えたらお終いだとは感じています。
03
会社としては、いま長崎に本社があって、福岡にも拠点を置いていますが、将来的には欧州、アジアにも活動拠点を持ちたいです、
長崎の和華蘭文化を体現できるように事業も変化に対応しつつ人材の多様性も環境を用意したいです。
もうひとつ力を入れていきたいのが、10代、20代の働く環境づくりです。具体的には学生インターンの受入れです。九州だと、どうしても人材が福岡の中心部に集まってしまいますが、長崎での長期インターンシップの仕組みをつくったりしています。いまは長崎大学や佐世保高専と連携して、積極的にインターンの受入れを始めています。ファーストキャリアは福岡や東京に出るとしても、いずれUターンして長崎に戻ってきてくれたらうれしい。企業側も採用には課題がありますし、いい人材はどうしても都市部に流れてしまいますから。長崎に人が集まるための“種まき”のような取り組みですね。
それから、「越境留学」という考え方もコンテンツにしていきたいと思っています。若い人たちが海外に留学するような感覚で、長崎に留学しに来る文化やイベントをつくる。日本人だけでなく海外の人たちにも、長崎という場所に長く滞在してもらい、その魅力を体感してもらえるようにします。「昔、長崎は学生時代に修学旅行や平和学習で行ったよ」というように大人でも覚えている経験、一度でもその期間に何かきっかけを得る環境に出来ればその後もゆるく関わることができると思っています。逆も然りで私も長崎県から上京したように「一度はやっぱり東京に行ってみたいです」という学生も過去に何度もいましたのでその気概もウェルカムです、東京拠点もつくることによって人の行き来が出来るようにもしたいと考えてます。
また、社内では今、「トンボロニスト」という人物像を中期的につくろうとしています。
事業をやるうえで、本当に価値を伝えられているのか。事業者とお客様が、きちんとつながっているのか。事業者側の想いと、お客様の体験。そのあいだをきちんとつなぐ存在になれているのか。「トンボロ」という言葉は、その状態を測るための一つの指標のようなものですね。
林田真明さんに10のQuestions!
Q1
コロナ時期に起きた資金繰り含めた経営難。
コロナの外部要因に関わらずに自分がまいた種ですし、勢いだけでは済まされなかった経験だと猛省しています。
このときは表裏一体の情熱を試されました。自分自身が変化が必要で日々心ここにあらずで試行錯誤しました。
長崎の大先輩であるジャパネットたかた社が本当に長崎市にスタジアムシティを設立したことも勇気をもらいました。
実際にあのスタジアムを見た時に自分自身の現実と理想のギャップを実感しつつ、「もっとやらねば!」と
不思議なエネルギーをもらって背中をおされたことを覚えています。
Q2
長所:心が広い方、話をよく聞く。
短所:忘れっぽい、興味がないことは本当に興味がない。
Q3
手帳に日記を書くこと。会社員時代に「仕事を通して自己実現につながることを感じたい」と思い始めた頃から、自分の内省、いわゆるリフレクションの時間を意識して取るようになりました。たとえ5分でもいいので、その日の出来事や感じたことを書き出すようにしています。書くという行為そのものが思考の整理になるんですよね。
「モチベーションシート」というノートを使っています。これまでに書いてきたノートは、1ヶ月間に1冊ペースでもう177冊くらいになります。
普通のメモ帳とは別に、小さいノートも持ち歩いていて、そこには自分なりの独自工夫しています。
その中の一つは、「今日のMIP」を書くことです。MIPは「Most Impressive Person」の意味で、その日に出会って印象に残った人と出来事をメモしています。人の記憶って、どうしても忘れていってしまうので。基本的には夜に書くことが多いですね。飲み会の前や、帰宅したあとなどにサッと書き留めています。近年はデジタル、AIなど出てますが効率化重視というよりも、自分の感情や思考を鮮度重視で整理する習慣として続けています。
Q4
成功と失敗に対する考え方です。昔は成功者のいい側面しか見えてなかったです。成功する時は結果論で常にいいところだけ見えますが多種多様でもあり再現性がないと思っています、それに比べて失敗に対する考え方をきちんと抑えておいたがいいなと今は痛いほどおもいます。どこまでいっても他山の石という言葉があるように自分自身が経験しないとわからないではなく、ある程度ちゃんと事前に考えておく必要がありますね。失敗することを事前に把握できれば成功する確率論をあげられるのでその方がいいですね。
Q5
一期一会、人間は環境の動物、学びは距離に比例する。
Q6
『客家大富豪 18の金言』(甘粕 正著)
尊敬する経営者の方に教えていただいた考え方。
改めて人生は人間の勉強として受け止めています。
Q7
自分の手がけたブランドが、誰かの日常に自然と溶け込んでいる景色を見ること。
自分の死後には、ゴッホのように価値が出るようなブランドにしていきたいです。
Q8
人間交差点、人と人のあいだにある、言葉にならない想いをすくい上げること。
トンボロ現象をうまく体現できるような生き方をしたいと考えています。
Q9
到達点ではなく、続ける理由です。長崎での出島トンボロの種まきが始まっていて、仕事は3割ぐらい終えたと思ってるので、ちゃんと次世代の環境づくりしていきます。 若い世代に託していくこともしつつ、自分自身も新しいチャレンジが必要と感じてます。
Q10
生まれ変わったときに前世の記憶があるならば、もっと早い時間軸で失敗して経験して成長速度を速めておきたいです。例えば10代でもっと早く借金して稼いで好きなことに使っていくなどで、お金と時間の使い方を考えて動きたいです。ただ急がば回れも重要かなと思ってる派でもあります。
※本記事の情報は、掲載日もしくは更新日時点のものです。(更新日: 2026年03月18日)
Profile
プロフィール
林田真明/Masaaki Hayashida
出島トンボロ株式会社代表
1986年生まれ。長崎県・島原半島出身。上京して広告代理店に入社後、そのまま東京で起業。その後、生まれ故郷の長崎に帰郷し、出島トンボロ株式会社を設立。事業を通じて、人と人のあいだにある言葉にならない想いを形にしている。
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