地域のミューズを発掘するメディア
株式会社しゃけを代表取締役
北海道・標津町。鮭の聖地とも呼ばれるこの町で生まれた椙田圭輔さんは、自身のあだ名を冠した「株式会社しゃけを」を立ち上げ、地域に根ざしたプロダクト開発と販売を手がけている。彼が掲げるのは、社会課題の解決と企業としての利益を両立させる「ローカルゼブラ」という成長のあり方だ。
目指しているのは、単なる事業拡大ではない。ひとつの領域にとどまらず挑戦を重ねながら、地域の中で経済が循環していく状態をつくること。そのために、常に全身全霊で向き合い続ける。椙田さんがいま立つ場所と、その先に描く未来とは。
これまでの歩み
北海道の右端にある標津町で育ち、高校進学を機に札幌へ。中学までは野球をやっていました。その高校は新設校で、高校が野球強化を進めていたので、当然僕にも声がかかるだろうと思っていましたが、まったくなく。考えてみればそりゃそうで、僕は履歴書に野球経験を書いていなかっただけでした。天邪鬼だった僕がいけませんね。
それで、ちょうどJリーグブームだったこともあり、サッカー部に入ろうとしたのですが、前身校のちょっと“やんちゃ”な先輩たちと軽く揉めまして。結果的に、上級生のいない新設のアメフト部に入ることになりました。今思うと、そこが自分の原点だった気がします。
そのアメフト部は北海道初のチーム。そして顧問の先生はかなり変わった人でした。もともとは銀行員だったのですが、アメフトを教えたい一心で脱サラし、アルバイトを掛け持ちしながら、2万円のボロアパートに住んでアメリカへコーチ留学する資金を貯めていたような人で。「挑戦する大人ってかっこいい!」と思いました。好きなことに本気で挑戦する姿勢を、その先生から学びましたし、「ほかではやっていない」というパイオニア精神は、ここで根づいた気もしています。
また、アメフト自体も、戦略を立てながら逆算して考えるスポーツなんです。格闘技のような激しさもありますし、チーム全体でどう勝つかを考える部分は、今のビジネスにも通じていると感じます。
大学では政策科学部・環境開発コースを専攻。同時にアメフト部に入りました。基本、学生生活はアメフトばかりやっていましたね。
そしてこの頃、今思うと原点にもなった気がするんですけど、友人が銭湯に行った時に、知らないおじさんから「兄ちゃんいい体してんな〜」って声かけられて一緒にご飯行くことになったらしいんですね。その友人が一人で行くのはちょっと怖いとのことで(笑)、僕を誘ってくれて、そのおじさんと友人と、一緒にご飯に行ったんです。その方に祇園でご飯をご馳走してもらったりして、交流が始まったんです。一緒に食事をして話をする中で、自分の価値観が少しずつ形づくられていった感覚があります。その方が紹介してくれる人も経営者の方が多くて、自然とそういう世界に触れるようになりました。もともとベンチャー志向ではありましたが、この頃の出会いが、その感覚をより強くしたと思いますね。
大学のアメフト部は、4年生の時に日本一になりました。実は3年生までずっと控えだったんですけど、4年生の時に大一番でエースが怪我をして、その時に出場できて日本一にもなれて、甲子園ボウルでMVPにもなったんです。完全に棚ぼたですよね。怪我した彼には申し訳ないけど、運がいいなぁ、と我ながら思います。
アメフトを頑張っていたので、全然就職活動もしていなかったので、4年生になっても何も先が決まっていませんでしたが、もともと知り合いだった社長の息子に話をして、京都にある包装資材の会社に入りました。
前職では好き勝手やらせてもらっていたのですが、「もっと面白いことしたい」と、新しいチャレンジをしたくて転職。兵庫県の日本海側にある会社でした。いつかは地元に帰って貢献をしたいという思いから田舎で仕事をしている会社を選びました。その時であった方が今は、その親会社の役員にまでなっていますが、その出会いも大きく影響がありました。
そこがお土産のお菓子を扱う会社だったのですが、あれよあれよという間に売り上げを伸ばして上場もして。泥臭い現場の仕事から通信販売、子会社の経営、東京事務所の設立など幅広い仕事をやらせてもらって、その時の社長の経営スタイルは自分にとっての礎にはなっています。この頃には、すでに「地元に戻って貢献できる仕事がしたい」と考えてはいました。
僕がグループの社長から任されて責任者をしていた子会社が赤字経営で倒産しそうになったのですが、そこから全部やり方を変えて、翌年からは黒字に。そこからはずっと黒字になりました。
「株式会社しゃけを」の前身である「合同会社しゃけを」を設立。3(4年)年目には売上1億円を突破。一応、自分の会社を創業したのは初めてですが、前身の会社で起業のようなものを数回させてもらっているので、さまざまな失敗もして学ばせてもらっていたので、この会社は第2創業みたいな感覚かもしれないですね。
椙田圭輔さんの未来地図
01
生まれ故郷の町で起業。地域貢献ができるような会社を、ということで、社会課題の解決と経済的成長を両立する“ローカルゼブラ企業”です。最初は未利用の魚を使った出汁「THE北海道だし」を作って、通信販売を軸に事業をスタートしました。その後は、出汁にとどまらず、さまざまな商品を開発して卸しています。なぜかグミを開発したり(笑)、出汁を活かしたシーズニングのポテトやおかきなど、地域の素材を使ったあまりないタイプの商品を展開しながら少しずつ領域を広げ、道の駅や空港などの販路で販売展開しています。口コミなども含めて コツコツと広げて、今は出汁で150店舗くらいのお店で販売しています。
また一方で、地域のふるさと納税の支援や、SNS運用のサポートなど、町全体の価値を高める取り組みにも関わっていたこともあります。
鮭節、かじか、昆布、しいたけをブレンドした無添加の天然だしパック「しゃけをのTHE北海道だし」ほか、ユニークな商品を手がけている
02
学芸員だった両親から地域愛を植え付けられました。
自然と遊ぶことが多く友人関係も良好だったためいい思い出しかないですし、いつか地元に帰って貢献をしたいと思ってきました。なぜだかは、わかりません。
地域のことを背負う、とまでは言わないですが、この場所で立ち続ける覚悟のようなものは持っているつもりです。ビジネスの基本としては、やっぱり一つのことをやり続ける覚悟が大事だと思っていて。その原動力になるのは、結局、自分がやりたいこと、やるべきだと思えることを続けることなんですよね。実はそれが、私にとっては最もエネルギーが出ると思っています。
知床半島の付け根に位置し、雄大な海と山に囲まれた標津町
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地域に大きなインパクトを与えられる会社になりたい、と思っています。
知名度や売上、従業員数だけじゃなくて、やっている仕事の中身や、新しいことに挑戦する姿勢も含めて、地域にある閉塞感みたいな空気を変えていきたいですね。
今は売り上げと利益をしっかり残すことが、結果的に一番の地域貢献だと思っています。
正直、綺麗事はいらないかなと。もちろん、交流人口をどう増やすかとか、地域課題をどう解決するかとか、そういう話もありますし、そこもやります。でも、人口がどんどん減っている中で、それだけで何とかしようとするのは、やっぱり難しい。
北海道は広いですが、僕たちは道東エリアで、まずはしっかり影響力を伸ばしていきたいと考えています。
最終的には、地域を動かして、まわせる人材が1人でも2人でも増えていくことが重要なのかな、と。それが持続性につながるんじゃないかと思っています。
一方で、会社としては5年後にはまったく違うことをやっていたい、なんて気持ちもあります。
北海道って、実は製造が弱い。そこを狙って、M&Aや事業承継で地域の核になる事業を束ねていきたい。そこに一次産業も掛け合わせながら、全体の価値を引き上げていきたいという構想があります。
不安がないわけじゃないですけど、そういったことは正直、ある意味どうでもいいんです。うまくいかなかったら、それはそれでどこかで働けばいいし、たとえば中洲でボーイをやりながら暮らすのも全然あり!(博多好きなので!)
いい家に住めたらそれはそれでいいけど、場所にもそこまでこだわりはないですね。
ただ、何をしていても、働き続けてはいたいですね。
椙田圭輔さんに10のQuestions!
Q1
短気、いらち(せっかち)、忍耐してしまう人、いつの間にかポジティブ、いつの間にかよく話す。
Q2
100点、200点満点の半分です。卑下せず謙虚でいられるように
Q3
全力、全身全霊……。でもちょっと違うんですよね。今いい座右の銘を考え中です。
Q4
そんな時は何もしないと挫折するので、挫折したくないから動きまくってきました。挑戦しないとつまらない。死んじゃいます。
Q5
使命とは違いますが、志は「笑顔あふれる世界を作るために、私の持つ愛の力で、人々と向き合い楽しみながら元気で続けること」です。
Q6
今度は、暖かいところで生まれたい。
あと、海外を放浪したい。アメフトやっていなければ、いろんなところに行っている気がします。日本にほとんどいないんじゃないですかね。
Q7
フィギュアスケートのりくりゅうペアの演技。
追い込まれた状況の中で、これまで積み上げてきた準備や経験が全部重なって、極限まで集中したときに生まれる“ゾーン”みたいなものを感じました。
すごく激しいわけじゃないのに、静かで、でも芯のある強いエネルギーがぐっと出ていて。それがちゃんと人に伝わるし、やっぱり感動を生むと思うんです。自分も、ああいうエネルギーを常に発していたいなと思っていて。
経営者としてであれば、人に何かを話すときや、伝えるときなのかもしれないですけど。
Q8
広島カープの始球式で投げたい。昔、実家に神棚があるのですが、そこに元広島カープ・古葉監督のサイン色紙があるくらい、父親が広島カープファンだったので、自分も好きになりました。広島カープって、いわゆる貧乏球団なんですよね。だから人を育てて勝つ、みたいな戦略なんですね。そんなところも好きですし、原爆からの復興にあたっての球団と市民の歴史のようなものも好きです。
あとは岐阜県にある郡上八幡の橋から川に飛び込んでみたい。郡上八幡がすごくいい雰囲気の街なので行ってみたいんです。そして、橋から川に飛び込みたい。昔から川がすごく好きなんです。高いところ、苦手なんですけどね。
あとは海外のトレランレースに出たい、マチュピチュに行きたいなどたくさんあります。
Q9
冒険家・植村直己や星野道夫、沢木耕太郎の『深夜特急』が好きでした。司馬遼太郎など、歴史小説や歴史に残る偉人は好きです。
Q10
知床連山の景色、金山の滝、ポー川史跡自然公園。
※本記事の情報は、掲載日もしくは更新日時点のものです。(更新日: 2026年06月03日)
Profile
プロフィール
椙田圭輔(Keisuke Sugita)
株式会社しゃけを代表取締役
1980年生まれ。北海道標津町出身。高校進学を機に札幌へ進み、大学時代は立命館大学でアメリカンフットボールに打ち込む。卒業後は会社員として営業・商品開発・事業開発などさまざまな事業に関わり、2022年、自身が41歳の時に地元に戻り起業。自身のあだ名を由来にした「株式会社しゃけを」を設立し、未利用魚を活用した出汁の開発・販売を皮切りに、グミなどの食品プロダクトや流通事業へと展開してきた。現在は約300以上の取引先を持ち、地域発の商品を北海道内外へ届けている。社会性と収益性の両立を目指す「ローカルゼブラ」を志向し、地域経済の循環を軸に事業を広げている。
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