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株式会社サカナカケル代表
鹿児島県鹿屋市・出水田鮮魚の3代目である出水田一生さんは、もともと家業を継ぐつもりはまったくなかったそう。大学院で生物学の研究に打ち込み、都会での未来を思い描いていた彼が、父の病をきっかけに地元・鹿屋市へUターンすることになる。魚の知識もないまま飛び込んだ家業。しかし、「ただの魚屋では終わりたくなかった」と語る出水田さんは、従来の鮮魚店のイメージにとらわれず、働く環境や見せ方、事業のあり方を次々とアップデート。時に周囲とぶつかりながらも挑戦を重ね、現在はEC販売や飲食事業などへも領域を広げている。祖父の代から続く店を守りながら、新しい価値を生み出していく。その根底にある想いと、地方から描くこれからのビジネスの可能性について聞いた。
これまでの歩み
鹿屋市で祖父の代から続く鮮魚店に生まれましたが、若い頃は家業を継ぐつもりはまったくありませんでした。両親からは「好きなことをすればいい」と言われて育ちましたし、地元が自然豊かな土地だったこともあり、都会への憧れも強く、大学は福岡市を選択。大学では生物学を専攻し、そのまま大学院へ進学して研究に打ち込んでいました。
父が病気を患ったことをきっかけに、大学院を中退して家業へ戻る決断をしました。とはいえ、その選択には両親や親族を含め、ほとんど全員が反対。自分自身も魚のことは何も知らない状態でした。
当時は就職活動もしていましたが、どこかしっくり来ておらず、「この先どう生きていくのか」というビジョンもまだ曖昧な時期だったんです。一方で、ビジネスへの興味は少しずつ芽生え始めていました。大学院では博士課程の学生向けビジネススクールが開講されていて、実は1年間通っていたんです。商売人である両親や祖父の背中を見て育ったことも、少なからず影響していたのかもしれません。
周囲からは「せっかく大学院まで行ったのに、こんな田舎の魚屋に戻って大丈夫なのか」と心配されました。それでも、その頃には長男としての責任感のようなものも芽生え始めていたこともあり、「まずは一度やってみよう」と覚悟を決め、地元へ戻りました。
出水田一生さんの未来地図
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鹿児島県鹿屋市で祖父の代から続く鮮魚店の3代目。地元の病院や老人ホーム、学校などに魚を納める仕事がメインでしたが、私が帰ってきた12年前から対面販売の魚屋や干物などの加工品を作り、ECなどで販売、鹿児島市に飲食店を新たに始めました。
また、魚食普及といった観点から、新たな取り組みとして親子で魚さばき体験や市場見学ツアー、地元の女子高での商品開発の授業なども行っております。
親子で楽しむ魚さばき体験など、さまざまな新しい取り組みを行っている
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最初の頃は売り上げも安定せず、「なんとか家業を立て直さなければ」と必死でした。父親ともだいぶぶつかりましたね。でも、続けていくうちにさまざまな人と出会い、新しいことに挑戦したり、誰かと一緒に面白いことを生み出せることが、自分の大きな原動力になっていったんです。
家業に戻った当初、店には両親とベテランの従業員しかおらず、全員が年上の男性でした。朝は早く、休みも少ない。労働環境も決して整っているとは言えませんでした。自分自身は身内ということもあり、時間の感覚も曖昧なまま働き続けてこられましたが、将来を考えた時に「果たして若い世代がここで働きたいと思えるだろうか?」と感じたんです。そこから、少しずつ環境を見直していきました。新しい取り組みに挑戦したり、福利厚生を整えたり、ユニフォームのデザインを変えたり。仕事内容だけでなく、“どう見せるか”という部分にも工夫を重ねてきました。
そして今振り返ると、一番大きな原動力になっていたのは、祖父の代から続いてきた鮮魚店を絶やしたくないという想いだったのだと思います。祖父が築いてきたものを受け継ぎ、その想いを未来へつないでいきたい。そんな気持ちが、ずっと自分の根底にあったのかもしれません。
加工品のパッケージデザインにもこだわる
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「地元に戻りたい気持ちはあるけれど、今の仕事を辞めてまで帰ってきたいと思える職場がない」。そんな声をよく耳にします。だからこそ、これからの若い世代や優秀な人たちが、「鹿屋は田舎だけど、この会社で働いてみたい」「鹿屋に戻ってきたい」と思えるような環境をつくれたら面白いなと思っているんです。
自分自身も若い頃は、「早くこの田舎を出て都会に行きたい」と思っていました。でも、一度外に出たからこそ、この土地の自然の豊かさや暮らしやすさに改めて気づけた部分もあります。最近は新しいお店も増えてきて、以前よりずっと便利になってきましたしね。
事業については、これからもさまざまなことに挑戦していきたいと思っています。もちろん魚屋としての軸は大切にしていますが、根本的に“ビジネスそのもの”が好きなんです。だからこそ続けられているのだと思いますし、まだまだ足りない部分も多いので、これからも学び続けていかなければいけないと感じています。
最初の頃は、まず事業を安定させ、基盤を整えることに必死でした。ですが、これからはさらに事業をスケールアップしていきたい。そのためにも、まずは売り上げをしっかり伸ばしていくこと。そしてECや輸出などにも力を入れ、地元だけに留まらず、より広いマーケットへ展開していけたらと思っています。
出水田一生さんに11のQuestions!
Q1
家業に戻って数か月目に、同じ日に会いに行った県内の先輩経営者のお二人。
何もわからなかった自分の話を聞いてもらい、勇気をもらいました。
家業だからこそ、仕事の悩みは身近な人には言いづらい部分があったりもします。そんな取り留めのない悩みも含めて相談したり、一緒に仕事をさせていただける仲になりました。腹を割って話せる人がいるということは、とても大事ですね。
Q2
鹿児島県には、幕末の時代に命を懸けて日本を変えようとした偉人たちが数多くいます。そんな歴史を受け継いでいるからか、鹿児島の人たちはとにかく熱くて、どこか突き抜けた面白さがあるんですよね。
たとえば、薩英戦争。今考えると、薩摩藩がイギリス相手に戦争を仕掛けるってかなり無茶じゃないですか。もちろん結果はボコボコにやられるんですけど(笑)、普通ならそこで心が折れるところを、「いや、むしろイギリスから学ぼう」って切り替えて、実際に海外へ学びに行くんですよ。その発想がもう、いい意味でイカれてるというか(笑)。
でも、その無鉄砲さとか、失敗しても次に行くエネルギーって、すごく鹿児島らしい気質だと思うんです。そういう振り切れた感じがすごく好きなんですよね。
Q3
長所は、人の短所より長所に目がいくところ。人を嫌いになることがほとんどありません。
短所は、いろんなことに興味を持つ方なのですが、飽きっぽくもあるところです。
Q4
ポーカー。
確率と期待値であるこのゲームは人間性が出ます。ビジネスの勉強にもなるので、最近趣味としてハマっています。
Q5
40点。
今年40歳でやっと半分近くに来れたかな、と思います。
様々な経営者の方々に会うたびに、「もっと努力しないと」「もっと成長しないと」と気づかされます。
Q6
「おもしろき こともなき世をおもしろく 住みなすものは 心なりけり」。
高杉晋作の言葉です。「面白くないのは他責にしているだけで、本当は自分が面白くないだけ」という意味。幕末の混沌とした時代ですらこんなことを考えているなんて、すごいですよね。やっぱりイカれています。
Q7
55歳くらいでFIREして、マレーシア、シンガポールあたりで何か商売をやる。アジフライ屋とか?
Q8
ワーキングホリデー、留学、インターンなど、若い時にしかできないことを経験したい。
Q9
ドラマ「リアルやまとなでしこ」。
主人公の欧介は大学院を辞めて実家の魚屋に帰ってきたので(笑)。あっちはボストン、こっちは福岡ですけど(笑)。
Q10
10代の時に部活を途中でやめ、遊んでいたことは部活やってた人にはできない経験だったと思います。あとは大学受験前に真面目に勉強したこと。
Q11
「紳竜の研究」というDVD。
島田紳助さんが、お笑いを感覚だけでなく、徹底的に分析して捉えていたことがすごく印象的でした。
その考え方はビジネスにも通じる部分が多くて、マーケットを見ながら「相手が何を求めているのか」を考える姿勢に、マーケティングの本質を学ばせてもらった気がします。
※本記事の情報は、掲載日もしくは更新日時点のものです。(更新日: 2026年05月22日)
Profile
プロフィール
出水田一生(Issei Izumida)
株式会社サカナカケル代表
1986年生まれ。鹿児島県出身。鹿屋市の鮮魚卸売、出水田鮮魚の長男として生まれる。九州大学理学部生物学科に進学。遺伝子に関わる基礎研究を学び、大学院の博士課程まで進む。父親の病気を機に魚屋に転身し、3代目として家業を継ぐ。
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