地域のミューズを発掘するメディア
福岡女子商業高校長
「日本一若い高等学校長 」として注目を集めた柴山翔太さん。
30歳で校長に就任し、現在は5年目を迎える。
これまでの“学校の当たり前”を一つずつ問い直しながら、現場から変革を続けてきた。
目指しているのは、ナンバーワンではなくオンリーワン。
自分の頭で考え、行動を起こせる子どもが増えることで、世の中はもっとよくなる。
その原点と、これまでの歩みについて話を聞いた。
これまでの歩み
北海道で野球選手を目指していたものの、高校3年生の時に甲子園出場を逃して挫折。「高校教諭になって監督になれば甲子園を目指し続けられるかも」という理由で、教員を目指しました。
ここで、民間出身の校長による学校改革を目の当たりにしたことが、今の自分につながっています。当時の僕は、「担任としての責任を自覚する」「いい授業ができるようになる」「部活の顧問になる」みたいな、いわゆる“先生としての正解ルート”の中でしか将来を考えていませんでした。
そんな価値観をガラッとひっくり返されたのが、新陽高校の校長先生の存在です。その校長先生は40代で、もともとはソフトバンクで孫正義さんの右腕として働いていた方。お祖父さまが作られた学校が潰れかけたときに「潰すくらいなら、自分が校長になる」と言って現場に入ってきたそうなんです。そこから始まった改革が、本当にすごかった。
学校って「変わらないもの」の代表みたいに言われがちですけど、目の前でどんどん変わっていくのを見て、「あ、学校ってここまで面白くできるんだ」と素直にワクワクしたのを覚えています。その経験があったから、年齢も立場も関係ないし、「変えたい」と本気で思う人がいれば、組織はちゃんと変わるんだと信じられるようになりました。具体的には、それまでは偏差値や成績がどう、スカートが短いだとか髪の毛の色がどうだとか、そういったことに時間をかけていたのですが、生徒たちに興味があることをヒアリングをして、たとえば「編集者に興味がある」という子がいたらトップの編集者の方と30分話す時間を作るとか、関連のある企業人と生徒をつなげるなど、他の学校では見られないアプローチをしていました。そうするとやんちゃだった生徒も自尊心が高まり自然と行動が変わったりするんですよね。また、校長先生は現場の先生方に「自分が校長になったつもりで行動してください」とよくおっしゃっていました。この言葉はずっと胸にあります。
今、自分が新しいことに挑戦し続けているのも、そのときに見た“学校が生まれ変わる瞬間”が、確実に原点になっていると思います。
新陽高校でずっと働きたい気持ちはありました。そんなある日、憧れていた校長先生に呼ばれて、いきなりこう言われたんです。
「柴山くん、野球だけできる先生では新陽高校で働き続けることはできない。先生方も本気で挑戦しないとね」と。
ズドン!でしたね。正直、かなり衝撃でした。でも今振り返ると、たしかに自分はコンフォートゾーンで結果を出そうとしていたな、と思います。野球があるから安心できていたし、どこかで勝負から逃げていた部分もあったのかもしれません。そこから、「野球以外の強みを作らなければ」と腹をくくりました。飛び込んだのが、小論文指導で有名な神戸星城高校です。「小論文といえば柴山先生」って言われる存在になろう、と。
それまでの自分からしたら、一気にコンフォートゾーンを抜け出して、ストレッチゾーンに放り込まれた感覚でした。
福岡女子商業高校の校長に就任
この頃には、小論文についてはそれなりに自信が持てるようになっていました。ただ、神戸の高校は進学実績をかなり重視する学校で、そこに対する価値観や向いている方向が、自分とは違うと感じていました。じゃあ次はどこで挑戦しようか、と考えたときに、北海道、関西と来て、地域ごとに保護者も生徒も先生も、文化がまったく違うのが面白いなと思って。実はずっと、「死ぬまでに一度は九州で働いてみたい」と思っていたんですよね。
それで九州で私立の商業高校を探してみたら、福岡女子商業高校があったんです。
問い合わせてみると、入学希望者が減っていて定員割れが続いている状態とのこと。「小論文指導ができるなら、ぜひ来てほしい」と言ってもらえて、わざわざ採用枠まで作ってくださって。そうして、働き始めることになりました。
これまでの経験を総動員して進路指導にあたった結果、開校以来初めて、国公立大学の合格者が20人出ました。前年はゼロだったので、これはもう快挙と言っていい成果でした。ただ、学校として結果は出たのに、その時の校長先生が辞めることになったんです。そして理事長が校長を兼務する、という話だったのですが、「月に1回くらい来るだけ」と聞いて、それはさすがに無理だろう、と。「本気で学校をより良くしようという校長のもとで働きたい、女子商は面白い学校になるはずです」と、理事長に異議申し立てをしました。
「学校を本気でよくしたい」という想いをぶつけて、互いに譲れず言い合いのような感じで(笑)、気づけば4時間近く話し込んでいました。すると最後に、理事長がこう言ったんです。
「そこまで言うなら、君が校長をやればいいじゃないか」。
正直、「え!?」ですよね。自分にできるのかと、しばらく本気で悩みました。でも周囲の後押しもあって、最終的には腹を括ることにしました。30歳で高校の校長。当時、日本で最年少だったと思います。プレッシャーは相当でしたし、後日、校長就任のための手続き書類がどっさり届いたときは、さすがに恐怖を感じました(笑)。それでも、「もうやるしかないな」と。そうやって覚悟を決めて、今に至ります。生徒には、「夢は変わることもある」と伝えていますが、高校生だった頃の自分に、「野球部もない女子商業高校で、30歳で校長先生になるよ」と言ったら、きっと信じないでしょうね(笑)。人生、何が起こるかわからないものです。
校長に就任して3年目のときに、『Forbes JAPAN』のエデュケーション部門で、うちの高校を取り上げていただきました。あの瞬間は本当に震えるほど嬉しかったです。潰れかけていた高校が取材されて、世の中にちゃんと認知された。そのこと自体が、すごく感慨深かったですね。
柴山翔太さんの未来地図
01
現在、福岡の女子商業高校で校長を務めています。就任してから大きく変えたのが、「偏差値より経験値」を大切にする教育方針でした。これまでの商業教育の枠にとらわれるのではなく、チャレンジすること自体を価値にしていきたいと思っています。また、5教科7科目に縛られず、もっと多様な学びや体験ができる授業に力を入れています。年間でおよそ100件ほど、企業や地域と連携した外部プログラムも実施。目指しているのは進学校ではなく、日本一面白くてワクワクする学校です。
ただ登校するだけで少し前向きになれて、失敗しても大丈夫だと思える場所でありたい。
そのために掲げているキーワードが、「挑戦」です。高校時代に一つでも、成功と失敗の両方を経験してほしい。そうすれば、社会に出てからもチャレンジャー精神を持って、人生を楽しめる人になれると思っています。
その実現のために、特に意識したのが「組織としての運営」でした。意外かもしれませんが、学校の先生って、かなり個人事業主的に動くことが多いんですよね。そうなるとどうしても個人プレーになってしまって、学校として何を目指しているのか、方向性が見えにくくなる。そのため、組織論を徹底的に学びました。
もちろんトップダウンで管理したいわけではありません。教職員が同じベクトルを向いて、生徒一人ひとりと向き合える学校にしたい、という思いが根底にあります。自由な発想は大歓迎。でも、ルールはきちんとつくる。それはスカート丈がどうこう、という校則ではなくて、みんなが心地よく学校生活を送るためのルールです。生徒会には「ルールメーカー」という役職を設けて、生徒と一緒に話し合いながら、ルールの見直しも随時行っています。
02
26歳の頃に新陽高校で経験したことは、今でもかなり大きいですね。あのとき、「学校って、こんなふうに変えられるんだ」っていう姿を間近で見せてもらって、それがずっと自分の原動力になっています。
それに、最年少で校長になって、もしうまくいかなかったら「やっぱり若いやつはダメだ」と言われ、他の若い方のチャレンジを妨げることは絶対にしたくなかった。もし半年ももたなかったら、ただの調子に乗った若造で終わりますし(笑)。でも逆に、ここでちゃんとうまくいったら、「年齢って関係ないよね」っていう前例になる。そうなったら、これから先、若くして校長になる人も増えるかもしれないなと思っていました。陸上でもよく言いますよね、「9秒の壁」って。日本人のフィジカルじゃ無理だと言われていたのに、ひとり出たら、その年のうちに立て続けに何人も出てきました。結局、一回誰かが超えると、「常識」はすぐ変わるんですよね。教育の現場でも、そんなふうに既成概念という枠をはらっていきたいです。
03
目指しているのは、中学生がいい意味で本気で進路に迷う状態です。
エスカレーターみたいに進学するとか、偏差値みたいな数字だけで決めるんじゃなくて、「あの学校、なんか面白そうだな」とか、「ここに行ったら、これができそうだな」とか。そうやって魅力的な学校が増えて、迷ってしまうくらいがちょうどいいと思うんです。一番失敗してもいい時期に、ちゃんと挑戦してほしい。だから生徒には、しつこいくらい「挑戦だよ」って言っています。
それと、校長のイメージも、もっと多様で前向きなものになっていったらいいなと思っています。日本の教育に、世界のほうから視察にくるような状態を目指していきたい。いろんな学校が評価されたり、良い取り組みの方をメディアに取り上げていただく機会がもっと増えていくといいですね。
柴山翔太さんに10のQuestions!
Q1
「あきらめろ、覚悟しろ、本物を作れ」。
新陽高校の校長先生の言葉。「あきらめろ」というのは、大抵において障壁はあり、思った通りには進まないのであきらめろ、という意味。
Q2
従順ではないですが素直だと思います。
長所は心が動きやすい、伝える力がある、物事をつなぎ合わせて考える力(アナロジー思考)がある。
短所は思っていることがわかりやすいところ。
Q3
高校1年生が、生徒会長になったことですね。
2年生、3年生からも立候補が出ていた中で、その子が票をかっさらっていったんです。しかも、ただ勢いで、じゃなくて、ちゃんと頭を使いながら票を集めていて。何よりすごいなと思ったのが、大人にちゃんと「どうすれば生徒会長になれますか?」って、素直に聞いてきたところ。そういうピュアさって、やっぱり大事だなと思います。
上級生に混じって自分が生徒会長をやるって、相当な覚悟がいることだと思うんですよね。その姿を見ていて、正直、自分と重なる部分もありました。
Q4
決めつけ。
真面目や必死を嘲笑う空気感。
Q5
85点。
あまり点数化は好きではありませんが、想像もしていなかった環境でよくやっているなという思いと伸びしろを期待しての点数。
Q6
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。
リクルートグループ創業者の言葉。
Q7
社会へのプレゼント。
「挑戦」を学校の軸に据えたのは、ホスピスで働いている看護師さんの手記がきっかけでした。わりと有名な本なんですけど、そこに「人生で一番の後悔は何ですか?」という問いが出てくるんです。いろんな人の答えを集めていくと、圧倒的に多いのが「失敗を恐れて、挑戦しなかったことだった」っていう答えなんですよね。その中で特に印象に残っているのが、90歳くらいの大先輩のおばあちゃんの言葉です。「もし人生を一回だけ戻れるなら、20歳くらいのときにあった、あのチャンスの場面。あのときに戻りたい」って。
そして続けて、「人生で取り返しのつかない失敗なんて、ほとんどないんだから。思い切って、そっちの道に行きなさい」。そう言って、全力の笑顔で話していたんです。そのフレーズが、ずっと自分の中に刺さっていて。これって、人生のいろんな場面で当てはまることだなって、今も思っています。
Q8
最高に気持ちのいい乾杯。
漫画の「ONE PIECE」みたいな組織を作りたいと思っていて、困難に立ち向かい、みんなで目指してステークホルダーで乾杯してみたい。
Q9
自分への期待値。
Q10
多様な校長が生まれる状況を作り、PBL(パッションベースドラーニング)で溢れる豊かな教育環境を作ること。
※本記事の情報は、掲載日もしくは更新日時点のものです。(更新日: 2026年02月05日)
Profile
プロフィール
柴山翔太/Shota Shibayama
福岡女子商業高校長
1990年北海道砂川市生まれ。国語科の教員として4つの私立高校を経験後、福岡女子商業高等学校に常勤講師として赴任。赴任1年目が終わるときに次年度の体制について直談判したところ、唐突に理事長から「君が校長をやればいい」と打診を受け、30歳で校長に。主任や部長職、教頭の経験もない平成生まれの校長となる。校長就任後は学校改革を実施し、大人を巻き込んだ生徒主体のさまざまなプロジェクト活動に取り組む。生徒たちが学校の魅力を発信するTikTok動画が900万回再生を達成し、入学希望者数も倍増するなど、注目度が高まっている。著書に「きみが校長をやればいい」(日本能率マネジメントセンター、2023年)。
Search
検索
地域から探す
タグから探す