地域のミューズを発掘するメディア
これまでの歩み
小学1年生から大学まで、ずっとサッカーをプレーした私にとって、サッカーは人生に大きな影響を与えてくれた存在です。
サッカーをしていなければ出会えなかった友人たち。
サッカーをしていなければ知ることのなかったチームプレーの楽しさと難しさ。
サッカーをしていなければ学べなかった上下関係やマナー、ルール。
そして、サッカーをしていなければ身につかなかった忍耐力。
そのすべてが、私の人生を豊かにしてくれました。
大学進学と同時に、私は生まれ育った掛川を離れ、東京で新生活を始めました。
18年間、掛川しか知らなかった私にとって、東京の圧倒的なスケール、人々の多彩さ、情報の鮮度、そして価値観の違いは、すべてが衝撃でした。都会の良さも地元の良さも、暮らしてみることで改めて認識できましたし、私の人生の幅を大きく広げてくれるきっかけになりました。
新卒でコンサルティングファームに就職できたことは、私にとって大きな財産となりました。
徹底的に仕事の基礎力を鍛えていただいたことで、「どんな仕事に就いても怖くない」と思えるほどの自信を手にすることができました。
さらに学んだのは、「100人いれば100通り」の経営のあり方が存在するということ。
心から素敵だと感じる会社もあれば、そうではない会社もある。だからこそ、自分自身が「こんな会社でありたい」という理想像が、より鮮明に描けるようになりました。
佐々木博規さんの未来地図
01
私の曽祖父は1921年に米農家から茶農家へ転身し、1943年には地域の農家150人とともに共同工場「カネジョウ製茶」を設立。さらに戦後の混乱期である1946年には販売会社「佐々木商店」を立ち上げました。以来、「カネジョウ」という屋号で親しまれながら、100年以上にわたり“Farm to Cup(畑から一杯のお茶まで)”を体現するお茶づくりを続けています。
現在では、某夢の国の2倍以上にあたる約110haの茶園を、地域の農家や社員とともに管理・栽培。自社工場で製造から精選、焙煎、袋詰めまで一貫して行い、お客様にお茶をお届けしています。実は、これほどまでの工程を自社で担うお茶企業は全国でも多くはありません。
当社の事業はBtoBが中心で、商品化される際に「佐々木製茶」と表記されないこともあります。そのため、気づかぬうちに当社のお茶を味わっている方も少なくないでしょう。
私にとって掛川・上内田は愛すべき故郷です。子どもの頃から地域の農家や社員の皆さんに育ててもらったこの土地に、これからも恩返しをしていきたいと考えています。
02
私の曽祖父は、一人の茶農家としてお茶づくりを始めました。
当時、輸出できる日本の主要産品は「生糸か日本茶か」と言われる時代。もともと米づくりをしていた曽祖父は、これからはお茶だと直感し、畑に一本のお茶の木を植えたことから「佐々木製茶」の歩みが始まりました。
しかし、やがて太平洋戦争が激化し、茶の製造に必要な物資が不足。茶業の継続が困難な状況に追い込まれました。
そこで曽祖父は近隣の茶農家に声をかけ、共同工場の設立を提案します。個人では手に入らない物資も、共同であれば確保できると考えたのです。
当然、設立には多くの資金が必要でした。戦中という、明日の見通しすら立たない時代に、150人もの農家が曽祖父の想いに共鳴し、ともに出資・参画してくれました。
もしこの農家の方々がいなければ、佐々木家のお茶づくりは1940年代で途絶えていたことと思います。
いま私が故郷でお茶の仕事を続けられているのは、100年間お茶をつくり続けてきた農家の皆さん、そして製造・販売に携わってきてくれた社員の方々のおかげです。
その感謝を胸に、次の世代へバトンをつなぎながら、「本当に美味しい日本のお茶」を世界へ広めていきたい。
この想いこそが、私の原動力です。
本当に美味しいお茶を届けるために、栽培から販売まですべて自社で管理している
03
茶農家の平均年齢は年々高まり、一般企業であれば定年を迎える世代が「平均的」な年齢層となっています。さらに、日本全国の茶畑面積は毎年約1,000ha(東京都中野区とほぼ同じ広さ)ずつ減少しています。
こうした状況の中で、私たちはともに働く農家の方々が「次の世代に繋げたい」と思えるような、持続可能なお茶づくりを目指しています。そのために、お客様の豊かさと同じくらい、農家や社員の豊かさを大切に考えています。
また、従来の「農家」「農業」というイメージを変えるべく、正社員として雇用した社員による新しい形の茶栽培にも取り組んでいます。これにより、安定した生産体制を維持し、「本当に美味しい日本茶を、いつでもどこでも」楽しんでいただける未来をつくっていきたいと考えています。
さらに、海外ではいま抹茶が空前のブームとなっています。しかし、需要に対して供給が追いつかず、抹茶をつくる畑が圧倒的に不足しているのが現状です。新たに畑を整備するには数百万円から数千万円の投資が必要で、すぐに生産を拡大できるわけではありません。その結果、せっかくの需要があっても農家の収益には十分につながっていないのです。
だからこそ、抹茶だけでなく「煎茶」を世界に広げていくことも重要だと考えています。
日本で最も生産されている、最もポピュラーなお茶、「煎茶」。日本人が考案した、「葉を蒸す」ことで美しい緑色と豊かな味わいを作り出したお茶、「煎茶」。日本茶の多様な魅力を世界に届けることが、未来の茶業界を支える鍵になると信じています。
佐々木博規さんに10のQuestions!
Q1
「農家を大切に」という祖父の言葉。
祖父は口数が少なく、お茶のことも経営のこともほとんど教えてもらえませんでした。そんな祖父から聞いた言葉だからこそ、心にずっと残っています。
Q2
・高級煎茶を扱うカフェ
世界で「MATCHA」という言葉がそのまま通じるように、「SENCHA」を世界共通語にしたいと考えています。そのために、こだわりの高級煎茶を扱うカフェ、レストランに注目しています。世界のどこにいても美味しい日本茶が飲めるような世界観が私の理想です。
・「名作」と言われるもの
名作と言われる車、鞄、靴、映画、音楽、絵画。これらには人の心を動かす何かがあると思います。こういった名作を学ぶことで、人生も豊かになりますし、人の心を動かせるような商品作りをしていきたいです。
Q3
他者への感謝と敬意を欠いた言動。
人と一緒に働く上で、これらを欠いては良い仕事はできないと思っています。
Q4
長所:バランス、コミュニケーション、決断力。
短所:せっかち、頑固。
Q5
100点であり0点。
今日の自分はこれまでの自分の完成系なので、これ以上の自分はない。
明日以降の自分はどんどん成長していくので、今日はまだ0点。
Q6
すべての大陸で、美味しい日本茶が飲める様になることです。
茶葉の輸送方法や保管方法の問題、水の問題、茶器の問題、さまざまなハードルがありますが、必ず解決策はあると信じています。
Q7
前向きに走るエネルギーとなってくれるものです。
Q8
私たちの1年は、毎年4月18日前後の「新茶」から始まります。初日には、皆で茶葉を手摘みするのが恒例です。1年間の想いがぎゅっと詰まった茶葉をひとつひとつ摘み取っているとき、言葉にならないほどの幸せを感じます。
また、私は早朝散歩をすることが多いのですが、鳥のさえずりに耳を傾けたり、地平線から朝日が昇る瞬間を眺めたりすると、自然の豊かさに包まれていることを実感し、とても心が満たされます。
Q9
挑戦しないと衰退する、と自分に言い聞かせています。
呼吸をするのと同じように、挑戦し続けます。
Q10
海外で日本人以上に日本のお茶を愛し、心を込めて販売している人がいることです。
そういった方々と手を組み、お茶を大切に大切に扱って商売をしていきます。
Profile
プロフィール
佐々木 博規/Hiroki Sasaki
佐々木製茶
1993年生まれ。静岡県掛川市出身。佐々木製茶(株)の社長を務める祖父、父の背中を見て育ったことで、幼い頃から「いつかは自分もお茶屋になる」と考え始める。
早稲田大学卒業後、新卒でコンサルティングファームに就職。2023年 佐々木製茶(株)入社。ビジョンは「日本の本当に美味しいお茶を世界に届ける」。
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