地域のミューズを発掘するメディア
これまでの歩み
本当は報道記者になりたかったんです。でも、なぜか営業部に配属されまして。正直、“営業=お金儲け”みたいなイメージが強くて、ビジネスっぽい仕事は避けたいと思っていたので、当初はけっこう落ち込みました。
ただ幸い、ノルマがなく自由に動ける環境だったのはありがたかったですね。そのおかげで世の中の経済を知ることができたり、いろんな人と出会って多くを学べもしました。人とのつながりが徐々にできてきて、やりがいを感じるようにもなり、振り返れば仕事をしていくうえでの軸ができたと思っています。
念願かなって報道部に異動し、1997年には北九州支社の報道制作部へ。ようやく地元・福岡に戻ることができました。地元で地道に取材を重ねる日々でしたが、正直なところ、当初は報道部が“狭い世界”で物事を見ているようにも感じていたんです。
営業部を経験したことで、世の中をより俯瞰して捉えるクセがついたのでしょうか。だから少し冷めた目で見ていた部分もあったかもしれません。
今度は営業部から人事部へ。ここも思わぬ異動ではありましたが、会社を支えている部署だと思いました。入らないとわからないものです。
営業、報道、人事、管理部門とさまざまな部署を経験することで、会社全体を見ることができるようになりました。2019年はインターネット広告がテレビ広告を抜いたタイミング。この流れは止められないと、想定はしていましたが、テレビの強み、そして地域に必要とされるメディアであり続けるにはどうすればいいのか、ということをより考えなければならない時期であり、そのタイミングでの異動はとても責任を感じるものではありました。
松延健次さんの未来地図
01
株式会社KBC UNIE(ケイビーシー ユニエ)は、福岡市に本社を置くKBC九州朝日放送のグループ会社です。現在、その社長を務めています。私たちが大切にしているのは、地域に根ざし、人々の暮らしをより豊かにすると同時に、地域そのものの発展に貢献していくことです。
グループの中心にあるのはもちろん放送ですが、当社では放送だけでは伝えきれない領域、プロモーションやイベント、広告といった分野に注力しています。活動の主な舞台はKBCの電波が届くエリアですが、必要に応じて地域を越えた取り組みも行っています。
02
3年前までは、グループ内の放送局で経営企画を担当していました。2年前に実現した放送会社の持株会社化を推進する一方で、地方民放局とそのグループ会社の将来像をどう描くか、ということに取り組んでいたんです。
その中で、これまでのようにラジオやテレビといった“放送だけ”を中心に据えるのではなく、放送局グループのあり方を転換していく必要性を強く感じました。今後は、コンテンツ制作やプロモーション、イベントなどを放送と掛け合わせることで、グループ全体としてさらに力を発揮できるようにしていきたいと思っています。
また、私たちは福岡で“必要とされるメディア”であり続けたいと思っています。地元に根ざし、人々の暮らしに寄り添うテレビ局であることこそが、存在意義だと考えています。
例えば災害など、命に関わることをニュースで正確に、そして迅速に伝えることも、その大切な役割のひとつです。日々の放送や活動を通じて地域と強くつながり、いざという時には欠かせない存在として頼りにされるような。そうした放送を続けていきたいと考えています。
03
イベントや催事、そして地場企業や自治体の成長を通じて、九州が健全に発展し、人々が豊かで安心して暮らせる社会をつくっていきたいと考えています。さらには、さまざまな価値観を持つ人々が、日本だけでなく世界から集うような地域へと成長していければと思います。そうした大きなムーブメントを、私たちが牽引し、後押ししていきたいです。
松延健次さんに10のQuestions!
Q1
入社した年の夏、平和台野球場で開催される花火大会の運営を手伝いました。グラウンドから見上げるスタンドの観客の姿を見て、「花火の記憶が一生の思い出になるといいな」と感じました。そして、このような感動や良い刺激を人々に届けられる仕事をしたいと思ったのを覚えています。
Q2
せっかち。意外にやさしいところがある、と妻から言われたことがあります。
Q3
先日、抽選で裁判員に選ばれて刑事裁判に参加しました。社会正義の実現や世の中の秩序安寧を保つために、多くの労力とコストがかけられていることが改めてわかり、心が動かされました。裁判官や他の裁判員の着眼点や意見の多様さを知ると同時に、丁寧に合理的に事実を認定していくやり方は、仕事や私的な分野とは異なりますが参考になることが多かったですね。
Q4
70点。
入社後の最初の配属で希望職種に配属されず、数年の間は「辞めてやる」と思っていました。これまでの職歴にいまは不満や後悔はまったくありませんが、思い切って辞めていたらどんな人生だったのか興味があります。
Q5
・「得意淡然(とくいたんぜん)」
成功しても、誇らず淡々としていること。
・「失意泰然(しついたいぜん)」
失敗しても、動揺せず泰然(落ち着いて)としていること。
今年4月に亡くなった上司が教えてくれた言葉です。会社員、組織人としての心得かな、と。
Q6
入社後の配属先が報道ではなく営業だったこと。さらには1年後に福岡の本社から東京支社に転勤になったこと。興味の対象をビジネスに振り向けるのは人生観を転換するのに匹敵するくらいハードルが高かったのですが、「とにかくやってみよう」というと気持ちになるしかないところにまで追い込まれました。新卒時には自分の適性などまるでわかっていなかったことがわかりました。そのときの支えになったのは、やはり人です。見守ってくれたり、遊んでくれたり。先輩や同僚、仕事先の方々。こうした人たちから距離を置いたままだったら、営業の仕事が好きになれなかったと思います。
Q7
会社での役目を終えたら、素の自分に戻りたいです。社会あるいは会社に順応していく過程で身に付けてきたものを取捨選択して取り外していきたいです。会社員人生、我慢をしていたつもりもないですが、そこから離れたとき、やりたいように、自分らしく生きていきたいな、と思います。
語学留学や、気分に任せて海外の国々にぶらりぶらりと行ってもみたいですね。特に中東・東南アジアに興味があります。
Q8
自分の子や孫、その子孫たちがどんな考えを持って、どんな暮らしを、どんなところで生活していくのかを見たいし、知りたい。
私が子どもの頃、20代、30代、そしてこの10年。この3つの期間に分けて考えただけでも、物質的にも精神的にも世の中は大きく変化したと思います。これから先の世の中がどういうふうに変わっていくのか? とても興味があります。
Q9
世界を放浪したり、気に入ったところに数年ずつ暮らす。もしくは生涯を農村や漁村で静かに暮らしたい。人間や人生の本質を見つめたり、自分の人生を自分のものとして実感しながら生きてみたいです。
Q10
「遅れてきた青年」。
「もっと昔に生まれていたら、報道やメディアの世界は今よりもおもしろかったのではないか」——そんなふうに考えることがあります。もしかしたら自分は、予定より少し遅れて生まれてきたのかもしれない、と感じることも。そうした思いを込めたのが、このキャッチコピーです。とはいえ、AI技術が発達していくこれからの未来にも強い関心を持っています。
Profile
プロフィール
松延健次/Kenji Matsunobu
KBCグループホールディングス取締役/KBC UNIE代表取締役社長
1963年9月18日、福岡県久留米市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科人文専修を卒業後、1986年に九州朝日放送へ入社。テレビ営業部を皮切りに、東京支社、報道部、北九州支社などを経てキャリアを重ねる。2005年に東京支社テレビ営業部長、2007年に人事部長を歴任。2013年には報道制作局次長兼報道部長、2016年に報道局長、翌2017年に東京支社長に就任。その後、社長室長や取締役を務め、2023年よりKBCグループホールディングス取締役兼株式会社KBC UNIE代表取締役社長を務める。
Search
検索
地域から探す
タグから探す