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Interview

Career

「NYでハサミを持つと言うこと」アメリカ・NY在住 穂高律子さん/美容師

#海外で挑戦する女性 #海外で自分らしく暮らす

「海外で挑戦する女性たち」にフィーチャーする連載インタビュー。第二回目は、NYで美容師として活躍する穂高律子さん。

2024.05.22公開

Ritsuko Hotaka

1982年7月25日生まれ。岩手県出身。NY・ウィリアムバーグ在住。日本美容専門学校卒業後、東京・表参道のDaB(ダブ)を経て2010年macaroni coast(マカロニコースト)にオープニングスタッフとして参加。2016年に渡米し現在は雑誌やブランドの撮影やブライダルのヘアメイク、ファッションウィークのバックステージにも参加しながら、サロンワークを行う。2024年1月に自身のサロン「ON-SESSION」をオープン。2022年に出産を経験し、現在は2歳の子を育てる母でもある。

@ritsuko725


NY-。人種のるつぼともいわれるこの街では、多種多様な人種が混在して暮らしています。

アメリカン・ドリームを掴もうと、世界中から起業家やスポーツ選手、アーティスト、俳優などさまざまな職種の人が集まる場所。

そう、そこは夢追う人々が行き交う舞台であり、そのバイブスを感じるだけでアドレナリンが出るような、高まるエナジーを発している街。そんな夢が広がるNYへ、ヘアスタイリスト・穂高律子さんが渡ったのは8年前のこと。

「20代のころから表参道のヘアサロンで美容師として働いてきました。アメリカへの漠然とした憧れはあったものの、まさか自分が実際に住んで、そこで美容師として働くなんて。人生わからないものですね」と穂高さん。

アメリカへの密やかな憧れを抱いてきた少女時代の夢を、見事に実現しました。

私が美容師になるまで

美容師の聖地・表参道で10年以上ものキャリアを積んだきた穂高さん。彼女が美容師を目指したのは20歳。もともとは美容師を志してはおらず、高校卒業後は東京郊外の国立大学へ入学し、化学を専攻。卒業後は都内で働くOLになるのが当たり前と思っていた。

「あまちゃんで有名になった岩手県久慈市で生まれ育ちました。田舎育ちだからこそファッションに憧れがあり、ファッション誌や海外の雑誌を食い入るように読んでいた女の子でした。なぜ国立大学に入ったかというと、いま思うと完全に親のため。勉強して成績がいいと親は喜ぶので、親のために頑張って勉強して大学受験をしたように思います。

そして大学は推薦で受けることになり、面接で初めて栃木県に足を踏み入れたのですが…。まさかの地元とあまり変わらない田舎の風景(笑)。果たしてここで4年間、楽しく通えるのだろうかと不安がよぎりました。そして実際のところ入学式初日に『おしゃれな人がいない。もう辞めたい』と母親に嘆き伝えましたが、『は? あなた何しに大学行くの?』と一蹴されました。そりゃそうですよね。さすがに一日で大学を辞めるわけにはいかず、親の手前もありとりあえずしばらくは通いました」



大学へ通いながら、唯一の楽しみは華の東京へ遊びに行くこと。当時はカリスマ美容師ブーム。さらに友達の髪を切ったり自身の髪をいじるのも好きだったという穂高さんは、東京へ遊びに行くたびさまざまな美容院で髪を切ってもらっていた。そして、徐々に美容師への夢が膨んでいく。青山付近で働く美容師さんはみんなキラキラして見えた。


「『美容師になりたい』と本気で思い始めたのは、大学入学して一年が過ぎた頃。親の許しはなかなか得られなかったのと、美容専門学校の入学に間に合わなかったため、大学は休学をして一年間フリーターになりました。そんな私の姿を見て、親もとうとう諦めたみたいです。そのとき言われたのが、『もうあなたのことは面倒見ないし、自分で頑張りなさい』という言葉。それまで親が喜ぶならと勉強をしてきました。でも、ここで肚を決めました。自分の人生に責任を持って生きよう、と」

SNSで開かれた、渡米への道

青山でも人気のサロンに就職し、穂高さんの美容師人生は始まった。やりがいはあり、髪を切ることは楽しい。しかし、「日本のお決まりのルール」に煩わしさはずっと感じていたという。「美容師の仕事はとても楽しいものでした。でも、サロンワークだけでなく、雑誌やショーの撮影に携わりたいと思っていたんです。でも、どんなに頑張っても撮影を任せられる順番は年功序列でした。たとえ先輩より技術やセンスが長けていたとても、難しい。同期はみんなより2年遅い就職だし、やりたいと思うことに対していかに早く辿り着けるかということを考えてしまうタイプなので、これにはずっとやきもきしていました。

どうにかできないかと悶々としていた頃、世の中はSNSで発信するのが当たり前の時代になっていました。SNSが発展したことで、学校の同期たちが海外へ行って活躍する姿を垣間見るように。自分には縁遠く、遠い世界のものだと思っていた海外で働くということ。それが急に身近に感じられるようになり、リアルに考え始めました。海外で美容師として働く友達が日本に帰国するたびに話を聞いたり、『意外と難しいことじゃないよ』という言葉に背中を押されて。あれ、もしかして案外いけるのかな?行っちゃおうかな、という気持ちが芽生え始めました」

とはいえ店長を勤めていたサロンをすぐに辞めるわけにはいかず、「NYへ行く」と決めてからかかった期間は2年。

「オーナーにもだいぶ交渉して、早くNYへ行きたい!と意思表明していたのですが、もう決まっているセミナーや撮影のお仕事などもあったりしたので、なかなかそうもいかず。でも、あとから考えてみると日本での信頼関係という意味では、『筋を通して辞めてよかった』とは思います。かたや、NYは2週間前に言えば、仕事は辞められるというルールは、ニューヨークにきてびっくりしたことの一つです(笑)。でも、みなさんに応援してもらいながら辞めれたので、時間をかけてよかったのかなと思います」

そして2016年、ついに渡米。知人の紹介で、日本人オーナーのサロンで働くことに。渡米して何が一番大変だったかというと、「英語が喋れないこと」だという。「若い頃は、旅をしていても出川英語(お笑い芸人・出川哲郎氏が話す、日本語と英語を織り交ぜたカタコト英語のこと)でどうにかなったんです。でも変に大人になってしまい、ろくに英語を喋れないのに英語で話すということが、急に恥ずかしく、気後れするようになってしまったんです。心理的な壁ですね。NYに来て最初の2年くらいは、髪を切っている間はずっと無言(笑)。やはり言葉の壁があるとうまいこと伝わらなくて、仕事でもプライベートでも、たくさん悔しい思いをしました。ある程度自信を持って英語を話したいと思い、語学学校や発音教室に通ったり、オンラインで講座を受けたりしながらそこそこ話せるまではいきました。逆を言えば、海外で暮らすために英語ができるようになってからじゃなくてもいいということなんですけど」

働くことや子育てに対する価値観の違い

日本では1990年前後から、カリスマ美容師ブームにともない、東京・青山や原宿を中心にスタイリッシュなサロンが一気に増加した。そんな背景もあって、日本の美容室業界の競争も激しい。だからこそ、日系サロンはNYにおいて非常に重宝される。

「日本人は技術においても、流行への感度も高いと思います。NYでは日系サロンはひとつのブランドとして成り立っているように感じます。お客さんの価値観は人種によってさまざまなのですが、とくに欧米の人は、値段が高いということもあり、日本人のように頻繁にスタイルチェンジをしない。自分の髪質や個性を尊重しているので、そこまでみんなとおなじような髪型をするような流行を追っている人もそんなに多くはないので、『今日はどうしますか?』と聞いても『任せるわ』と言われることが多い。基本的に自分らしさと、スタイリングしやすさを求めている人が多いので、日本にいたときのような仕上がりの魅せ方とはちょっと違うところがあります。エッジがきいていようが、ナチュラルでシンプルなヘアであろうが、技術をしっかりと魅せることであちらも信頼してくれて、リピーターになってくれることも多く、お店が変わってもついてきてくれるお客さんもいらっしゃるのはうれしいです」

穂高さんがNYで驚いたのは、美容師という職業の立ち位置。「日本以上に、美容師に対するリスペクトが大きいんです。お医者さんと同等くらいの扱いかもしれない。日本では“いち美容師”という認識だったとしたら、NYでは『私』という人間をすごく大切にしてくれる。たとえば撮影の仕事が入って、お客さんに曜日を変えてもらえないかお願いしても、『もちろんよ。頑張ってきて!』と快く応じてくれてその仕事を応援してくれる。とてもピュアな気持ちで接してくれるんです。日本は美容業界が発展しているぶんチョイスがたくさんあるし、サービス業に対する審査が厳しい感じはします。NYではそんなにお気に入りの美容師がすぐ見つかるわけじゃないから、という事情もあるのかもしれません」


NYでは感情表現が豊かなのもある。電車のなかで歌い出す人もいれば、隣に座った知らない人に話しかけたり。そんなふうにまわりを気にせず自己開示をしていて、自分をさらけ出している人はNYには多い。「そんな文化が肌に合わない人もいるとは思います。日本のオブラートに包んだ控えめな空気感もとても素敵だと思うけれど、私は感情を思いっきり表現してくれるこの街の人たちがとても好きだし、飾らなくていいから楽なんです。こないだも電車のなかでいきなり肩をたたかれて、振り向いたら『あなたがつけているピアス、すごくかわいい!』と興奮気味に言われてその方は降りていきました(笑)。日本でそんなことがあったらあやしいって思っちゃいますけど、こっちだと不思議と思わないんですよね」


そんなNYでの美容事情は、コロナをきっかけに少し変わってきたところもあるという。以前はNYで美容室を探すときは、大抵の人がサロンのレビューを見て、レビューがいい店に来店してくる。しかしコロナ禍になり、髪型を変えて気分転換する人が増え、InstagramなどのSNSで自分がなりたい髪型とマッチするヘアスタイルを作っている美容師を見つけて選ぶ人も多くなってきたとか。「日本に比べるとまだまだですが、美容師がどんなヘアを作っているのかというところを見る人は増えてきました。そんなふうに髪型を楽しむ人が増えたのは、コロナによって恩恵を受けたところかもしれません」

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国によってヘアスタイルのオーダーの仕方が異なり、それぞれ特徴があるのも面白いそう。多種多様な人種がいるNYならでは

NYに来てから8年、穂高さんはさまざまな日本との違いを楽しみつつも、日系サロン2店舗で勤務し、着実に顧客を獲得。人気スタイリストとして信頼を築いた。そして今年1月に穂高さんは自身のサロン『ON-SESSION(オンセッション)』をマンハッタンに旦那さんと2人でオープン。場所はノマドとコリアンタウンの間くらいで、日本でいうと明治通りのようなおしゃな店が連ねる場所だ。オープン前は手続きなどが大変で、かなり苦労したそう。

「昨年物件を見つけたのですが、歴史的な建造物だったので規制もあり書類をたくさん提出しないとならず、アジア人で初めての自分たちの店舗ということで、オーナーさんからなかなか信用してもらえず厳しい対応でした。工事を始められたのも遅れたので、オープンもしていないのに家賃を支払わなければならなかったり。これも英語力があれば、交渉ももう少し上手にできたのに、と思います。銀行からも融資がおりず、そこは日本よりNYのほうが厳しいですね。日本のほうが小さなビジネスにもお金を貸してくれるイメージがあります」

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穂高さんが旦那さんとオープンした「ON-SESSION」

さまざまな苦労がありながらも、無事オープン。現在は5人の従業員とともに、お店を運営している。店名の由来を聞くと、「クリエイティブなことをみんなでセッションしていこう」という意味だそう。「NYの美容室は、日本ほど洗練された空間があまりないんです。日本にも負けない場所をつくりたい!というのが独立した理由のひとつでもあります。そういった洗練された空間のなかで、お客さんもここで働く美容師たちも、いろんなクリエイティビティのインスピレーションを得てほしい。そして、みんなでセッションしていいものをつくっていこう、ということをコンセプトにした造語です。仲間の美容師たちも髪を切るサロンワークだけでなく、一人ひとりがアーティストとして輝く場所にしていきたいです」

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ショーの仕事は刺激的で楽しい

穂高さんは2022年に出産をし、2歳児の母でもある。新しいサロンをオープンしたばかりで、どうやって子育てと両立しているのだろうか。「勤務中は、ほぼベビーシッターにお任せです。お金もかかることなので、出かけるギリギリに来てもらっています(笑)。NYではシッターさんを活用する人は多いです。NYで“働く”ということは、お金のためよりキャリアのための人が圧倒的に多い。だから、場合によってはシッターさんにお願いすることで支出がマイナスになることだってあるんです。それでもキャリアのほうが大切なので、産後すぐ復帰する女性が多い。私も2カ月半で戻りました。あとはママが働きやすい背景として、男性が子育てのヘルプをするのも当たり前という文化もあります。パパが子どもを連れて遊ばせている姿はよく見ます」

そして、「キャリアを積むならNYはオポチュニティ(機会)が多いからおすすめです」と穂高さんは語る。「日本にいるより多種多様なチャンスは生まれやすい。もし渡米するかどうかで迷っているなら、とりあえず一回来てみるのが一番。NYでは『私はこれをやる!』と決めている人が多い。そういう人をみんなが応援してくれる街ではあると思います。いろんな国のいろんな人のセオリーがあるので、固定観念は壊されまくりますが(笑)、それはそれで楽しめれば」



インタビュー後、思わず「渡米してしまったら日本食が恋しくなりそうです」とお話すると、「NYは便利な街だからなんでも買えるし、こないだAmazonで日本のものを注文したら3日で届きました。そこは、心配いらないですよ」とのこと。「湯船に入れないのもつらそう」とも伝えると、「そこは修行と思えば」と笑う。そう、いろいろ言い訳を並べ立ててもしかたない、ということ。もしそこで成し遂げたいことがあるならば、夢を現実にするために。

もちろんNYに行けばいい、という問題ではない。でも、人生は一度きり。挑戦したい気持ちがある人がいたら、穂高さんのように「まずは行ってみる」のも、アリかもしれない。

@ritsuko725



取材・文/竹尾園美

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