Culture
「私のバイブル」vol. 1 ライター・黒部エリさん
自身が持つ才能を活かし、クリエイティブな生き方をしている素敵な人に、ミューズたちの指針や道標となり、My Museの在り方を体現するような映画や本、アートをご推薦いただく「私のバイブル」。
2024.06.19公開
『ノマドランド』ディズニープラスの「スター」で配信中 ©2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.
初回の特別版には、ニューヨーク在住のライター、黒部エリさんにご登場いただきます。文章のパーソナルスタイリストという肩書きでも活躍する黒部さんの感性を刺激した作品とは? 黒部さんに「ミューズを思い起こさせた」3つの作品をご紹介します。
ノーベル賞作家であるガルシア=マルケスといえば、『百年の孤独』が代表作ですが、取りかかりやすいのが、ここでご紹介する短編集です。原題は、「無垢なエレンディラと無常な祖母の信じがたい悲惨の物語」。大人のための童話として6つの短編がおさめられているのですが、どれも摩訶不思議であり、お伽話でありながら、まったく甘くなくて、むしろ現実よりも苦い味わいがある短編集です。
この表題作は、エレンディラという可憐な美少女と、その鬼のような祖母の物語です。
もと密輸商人の妻で、娼婦だった祖母は、たったひとりの身寄りである孫のエレンディラに身のまわりの世話をさせています。巨大な体をしていて、刺青をいれているという迫力系ばあさんです。エレンディラは生まれてからそのように扱われてきたせいで、反抗することもなく、祖母に仕えているのです。
ある夜のこと、火事が起こるのですが、鬼ばあさんはその責任を孫娘に負わせて、その借金を返させるために、エレンディラに売春をさせるのです。
えええ、孫だよね?
冷酷に孫に売春をさせて金を巻きあげるババアなんてありなのか? というあたりで、もう魔術的な世界に引きずりこまれます。
エレンディラは砂漠で評判となり、巨大なテントの前に、男たちが列をなし、怪しい大道芸人たちも集まります。天使像やトランクをかついでいくインディオたち、月明かりの広間でチェンバロを弾く尼僧。オレンジを積んだ密輸商人たち。正気を失った祖母が語る、かつての記憶。
すべてがあいまって、摩訶不思議で、幻想的な世界が展開されます。
さて不幸な暮らしを続けるエレンディラの前に、ある日ウリセルという美少年が現れて、彼女に恋をします。この恋の描写が美しく、少年がコップを触ると、色が青く変わって、それで母親が「おまえは恋わずらいをしているのだね」とわかるのです。そして恋するウリセルとエレンディラは、祖母の殺害計画を立てるのです。
ここからがすごい。
鬼ばあさんは毒入りのケーキを食べても死なない。なんと爆薬をしかけて死なない。
いや、これ、人間じゃないでしょ。ほとんどプレデターとかエイリアンと戦っているような状態なのですが、どう見ても主演は、このおばあちゃん。母から祖母と代々伝わってきたような「母なるもの」の強大なパワー、原初の力、逆らえない支配力、何もかも飲みこむ力、暗黒に引きずり込む力がすごすぎる。
エレンディラの持つ、ひたすら耐える心と清らかさが、いわゆる永遠の乙女のイメージであるならば、一方おばあちゃんの暗黒卿パワーもあっぱれであり、女性が持つ、二つの側面を極端にしたものともいえます。
ミューズというのは、もともとギリシア神話で、学芸や芸術を司る女神たちムーサのこと。
それが自分をインスパイアしてくれるもの、導くものといった意味に転用されていますが、よくデザイナーたちが「自分のミューズは誰々」というのは、その女性像に触発されてデザインがわき起こるということでしょう。
このミューズの原型が、「詩の女神」であるというのはとても意味深いことで、すべての芸術の根幹には「詩心」があるのではないかと思うのです。
そしてこの小説世界に溺れるとき、あなたのなかで、きっと詩心が揺れ動くはずです。死や陰惨さと、その反対にある極端に眩しい光と色鮮やかなイメージの氾濫。強烈に刻まれるエレンディラと祖母の姿。
さて、最後にどうなるか。
エレンディラが選んだ行動には、あっと驚くだろうし、虚を突かれた思いにもなるかもしれません。そしてマイミューズ読者のみなさんであれば、ふと心のなかで、こう感じるかもしれません。
ああ、そうだ、これがしたがったのだ、私はこうしたかったのだ、と。
鮮やかな幕切れを見せるエレンディラ。いったいどんな結末を彼女が選ぶのか、ぜひご一読ください。
オタク女子の金字塔といえるのが、2001年公開のフランス映画『アメリ』でしょう。
ジャン=ピエール・ジュネ監督の作品の中では、私自身は『シティ・オブ・チルドレン』が一番好きなのですが、こちらはかなり癖が強い一方、『アメリ』は誰が見てもハッピーになれる作品として世界的ヒットになりました。
主人公アメリは、幼い時から人見知りの女の子。母親が早くに亡くなったために、あまり人に関心のない父親と娘の二人暮らしになります。ほとんど友だちと交わらなかったアメリは、空想好きの孤独な少女に育ちます。そして大人になってから、パリのモンマルトルにあるカフェ「ドゥ・ムーラン」で働きだすのです。
アメリが好きなことは乾燥豆の袋のなかに手を突っ込む感覚、クリームブリュレのてっぺんの焦げた部分をスプーンで割る感覚、映画館で他の観客の表情をこっそり見ること。ひとりでする石の水切り。
ああ、これは私の話だ、と感じる人が多いのではないでしょうか。
誰もが「私」と感じられる、このイントロ部分がうまいわけですが、いくつになっても心のなかに臆病で、ひとりぼっちな子どもがいる人にとって、オシャレなアメリは、まさに理想化された「シャイな私」でしょう。
物語の始まりは、ダイアナ元妃が亡くなった1997年8月31日のこと。アメリは自分の住んでいる部屋の浴室で前の住人の持ち物を発見し、それを持ち主に返そうと思い立ちます。そこからアメリの小さな冒険が始まり、身近な人たちに不思議な親切を授けていくことになるのです。
そしてアメリが片想いをする相手が、ニノ。彼は証明写真を蒐集しているという、これまたかなりオタクな青年です。彼が落としていったアルバムを返してあげようとするアメリなのですが、シャイであるために本人と直接話せません。他人にはお節介なほど親切なのに、自分のことになると、もどかしいくらいに行動できないアメリ。自分はダメダメなのだと落ち込みます。
そんなアメリに、隣人の老人がこうアドバイスをビデオで伝えてくれるのです。
「おまえの骨はガラスじゃない、人生にぶつかっても大丈夫だ。もしこのチャンスを逃したら、やがてはおまえの心は、私の骨のように渇いて脆くなってしまうだろう。さあ、彼を掴まえるんだ」
人生という冒険では、ぶつかって倒れても、それで終わりじゃない。大事なのは、待たずに踏み出すこと。そして勇気を出したアメリが掴んだものは……? きっと誰もがハッピーになるエンディングでしょう。
それにしても、なぜ人見知りのオタク女子なのに、あんなにかわいくてオシャレなのか。変人のオタク男子なのに、あんなにカッコいいのか。という疑問もフツフツと浮かんできますが、その答えは「パリだから」。現実のパリではなくて、私たちの幻想のなかにあるパリだから、何もかもオシャレなのですね。
あんな恋をしてみたい、あんなふうに日々の奇跡を起こしてみたい。そんな憧れをかきたててくれる映画『アメリ』。あなたのなかにいるアメリと、冒険をしてみてください。
映画のジャンルにロードムービーというのがありますが、『ノマドランド』(2021年アメリカ)は文字どおり、車上生活者たちを描く映画です。
監督は中国人のクロエ・ジャオ、主演はフランシス・マクドーマンド。第93回アカデミー賞では監督賞、作品賞、そして主演女優賞の栄冠に輝きました。
主人公のファーン(フランシス・マクドーマント)は長年小さな町で働いてきたものの、工場の閉鎖で街がまるごと消えてしまうことに。夫もずいぶん前に亡くなっていていない、仕事もない、子どももいない、家もない。ないないづくしのシニア女性が決心したのが、自家用車に家財を積みこみ、流浪の旅に出ることでした。
心配した妹が一緒に住もうといいますが、ファーンはそれも断ります。代用教員だったファーンにかつての教え子は「ホームレスだと聞いたけど、本当?」と問いかけますが、「私はホームレスじゃない、ハウスレスなの。違いがわかる?」と、ファーンは毅然と答えるのです。そして日雇いの職を求めて、アマゾン物流センターやファストフードの店員といった職を転々としていきます。
原作は、2017年にジェシカ・ブルーダーが上梓したノンフィクション『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』。2008年のリーマンショックが引き起こした経済危機で、仕事を失った50~70代の初老の人々が、そのために住む家もなくして、キャンピングカーに家財を積みこんで放浪するようになったのです。
彼らは「ヴァンドウェラー」(VanとDwellerの造語)、あるいは「ワーキャンパー」(WorkとCamperの造語)と呼ばれていて、アリゾナ州で行なわれるイベントには、車上生活者たちが4万人以上集まるといわれます。
映画には、ヴァンドウェラーのカリスマ的存在、ボブ・ウェルズが本人役として登場して、この映画に出てくる車上生活者たちもほとんどが実際のヴァンドウェラーたちです。
砂漠にキャンプカーが集まり、キャンプファイアーを囲んで語りあい、そしてまたひとりずつ砂漠の中に消えていく。
ボブ・ウェルズは、「この生活でよいのは、さようならを言わなくていいことだ。必ずまた会える」と語ります。
ファーンは家族や親戚に頼るよりも、独立独歩であることを選びます。縛られることを嫌う代わりに、泣き言も言わない。ここに出てくるのは、社会的にいえばむしろルーザーでもある人たちの人生なのです。けれども彼らは独立して生き、自由を掲げて、おのれをつらぬいている。
快適とはいえない生活をしながらも、ファーンは他人に対してナイスであり続けます。決して仕事でのズルもしない。そのときどきに友人もできれば、交流もある。親しくなる男性もいる。けれども、すべては一期一会であって、行く川の流れはそこに留まらない。
なかでも心に残った美しいシーンが、同じく車上生活者である75歳の女性と話すくだりです。
彼女は癌にかかるのですが、病院で亡くなるよりも、北に行くといって、ひとり孤独の旅に出るのです。彼女が口にするのが、かつて見てきた、さまざまな自然の美しい光景で、ツバメたちが飛びかう光景を思い起こし、おのれの人生は充分だった。その光景を見て死ねれば、もう完璧だと口にします。
私たちは誰しも一時期的にこの地上にいて、この世界のすばらしさや驚異を、魂で記録して、またどこかに旅立っていく。その間に経験したこと、それじたいが輝きなのではないでしょうか。
ファーンは、独立した個人として、自由に生きることを選びます。彼女は決して頼りなく、寄る辺ない老女ではありません。他人の情けに、ひたすら頭をさげて、ほそぼそと生きていく老人でもない。社会からは見えない存在になったとしても、確固たる自分がある。その生きざまが、生きる勇気を与えてくれる作品です。
すべての人がこの世を旅するノマドです。私たちは生きて、経験して、やがて地上から消えていく。旅は時に厳しく、つらい時もある。それでも互いに善くあろうと務めながら、終わりまで歩き続ける。あなたが人生という旅の途中で見上げるとき、夜空に輝いている星は何でしょうか。
『百年の孤独』や『族長の秋』などで知られる、コロンビアのノーベル賞作家、ガルシア=マルケスによる短篇集。“大人のための残酷な童話”として書かれ、「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨な物語」を含む6つの中・短篇を収める。“孤独と死”をモチーフに大著を残したマルケスの真価が発揮された作品。
パリを舞台に、空想好きな女性アメリの日常と不器用な恋の行方を描いたロマンティックコメディ。カフェで働く、いわゆる“コミュ障”のアメリは、ある日発見した宝箱を持ち主に返すプロジェクトをきっかけに、誰かの人生を少しだけ幸せにする喜びを見出す。オドレイ・トトゥがアメリを魅力たっぷりに演じて、日本中も虜にした。
第93回アカデミー賞での主要3部門のほか、第77回のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞も受賞。原作はノンフィクション「ノマド:漂浪する高齢労働者たち」。この映画化のために自ら奔走したF・マクドーマンドが、キャンピングカーで放浪する、現代の女性ノマド(遊牧民)の主人公を演じる。格差や豊かさの意義を問う秀作。
文/黒部エリ 編集/八木橋 恵
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