Culture
「私のバイブル」vol.3/フィルムメーカー・長谷川安曇さん
自身が持つ才能を活かし、クリエイティブな生き方をしている素敵な人に、ミューズたちの指針や道標となり、My Museの在り方を体現するような映画や本、アートをご推薦いただく「私のバイブル」。
2024.09.12公開
©WimWenders_by_DonataWenders2004
第三回には、ニューヨーク在住のフィルムメーカー、長谷川安曇さんにご登場いただきます。ライターやメディア業界でのキャリアを経て、映像の世界へ飛び込んだ長谷川さんの感性を刺激した作品とは? クリエイターの誰もが経験する謙遜と矜持の狭間で、心で感じた何かを長谷川さんにヴィジュアライズさせた3つの作品をご紹介します。
「世代なのか性格なのか、私にはいつまで “自分探し”をしてしまうところがあり、 “ここではないどこか”を求めたり、誰かを探しに旅に出たら、本当に探しているものは自分だったことに気づたり、というようなストーリーに惹かれるんですね。それは常に自己を規定しようとしているからなのか、自分という人間がまだわかりきっていないからなのでしょうか。
友達の親戚の結婚式でトルコに行ったとき、ホステルのような場所に泊まっていて、毎晩遅く帰ってくる私は、フロントデスクのお兄さんと他愛もないおしゃべりをするのが日課になっていていました。ある晩、職業を聞かれたので、(当時は)ライターだよ、と伝えると、オルハン・パムクの本を読んだかと聞かれました。読んだことがないと答えると、お兄さんはとてもショックを受けたようで、“ライターなのに、パムクの本を読んだことがないの?”と。2006年にトルコ人初のノーベル文学賞を受賞したパムクは、現代トルコ文学の旗手として非常に有名で、ベストセラー作家でもあります。物書きなのに、パムクの本を読んだことがなかったから、“確かに面目ないな”と感じて、その旅行から戻った直後、本屋へ買いに走りました。パムク作品の中で、私が選んだのが『白い城』でした。
17世紀、オスマン帝国で奴隷となったヴェネツィア人の“私”が、自分と酷似したトルコ人学者の“師”に買い取られ、科学的知識を共有しながら“自己とは何か”という問いを通じて互いを深く知るようになって、2人の関係の変化を通して、“東と西の対立”を描いた作品です。
私の祖父母は以前トルコで暮らし、子どものころの夏休みで訪れて、とても楽しかった思い出があります。祖父はトルコで他界したので、だからバイアスなどがあったとしても、トルコのものが好きなんです。そして、この小説を読んだときの衝撃は今でも鮮明に思い起こすことができます。物語の先が気になって気になって、何をしていてもどこにいても、 “早く先が読みたいから、家にもう帰りたい!”と、思いました。自己の認識という永遠のテーマを問いかけた作品で、“私”と“師”の関係性が歪んでいく過程がおもしろいです」
「若いころに観て、今見直しても大好きな映画『パリ、テキサス』。妻子を残して、4年間失踪していたトラヴィスが砂漠で見つかり、弟のウォルトは彼をロサンゼルスの家族の元へ連れ戻そうとします。無口だったトラヴィスはやがて、思い出があり、特別な場所であるテキサス州のパリに行こうとしていたと明かします。かの地ロサンゼルスで息子のハンターと再会したトラヴィスは彼とともに、何年間も連絡が途絶えていた妻のジェーンがいるヒューストンへ向かいます。
再会したトラヴィスとジェーンは心を通わせるのですが、トラヴィスはジェーンに息子を託し、再び旅に出ます。最初に見たときは、なぜか自分が主人公のように、いつか何年も失踪して弟夫婦が代わりに自分の子どもを育てることになるのでは、と思ったことを覚えています。実際の私の人生で、それは起こらなかったとしても、登場人物の中に自分自身を投影して感情移入できるのは、キャラクターデベロップメントが素晴らしい証拠だと思います。
脚本は、L・M・キットカーソンとサム・シェパードが手がけていますが、シェパードは劇作家です。劇の中では、セリフが物語を運んでいくので、個人的には劇作家が書いた映画の脚本のほうが好きですね。ダイアローグでもモノローグでも、一文一文に重みがあって、より生きいきしているように感じられます。“セクシー電話のお姉さん(のぞき部屋)”の仕事をするジェーンとトラヴィスが、マジックミラー越しに電話で再会を果たすシーンでは、何が起こったかをトラヴィスがジェーンに長いモノローグで告白するのですが、自身の気持ちを吐露するこの独白はパワフルで、とても影響を受けました。
私自身、いつかこんな風に“書ける”日が来るといいな、と心底思います。また、このシーンはまるでトラヴィスが刑務所に収監されているように見え、抽象的な演出が効いています。ある意味、トラヴィスはもう死んでいて、母のジェーンと息子のハンターを再会させる守護天使のような役目を果たす物語とも言えるでしょう。ハリー・ディーン・スタントンとナターシャ・キンスキーの演技も卓越していますし、言わずもがなヴィム・ヴェンダース監督作品なので、映像もテンポも素晴らしいです」
「私だけではなく、おそらく全世界の多くの人が、一番好きな本として挙げると思われる『オン・ザ・ロード』。ジャック・ケルアックの自伝的小説であるこの本は、20代のケルアックが盟友ニール・キャサディとアメリカを横断した旅を描いています。1957年に同書を出版後、そのどこまでも自由な生き方と即興的なリズム、躍動感を持つ文体が人々を魅了し、不朽の名作として世界中の人々に愛され続けていますよね。本に登場するサル・パラダイスは、ケルアック自身のことで、ディーン・モリアーティのモデルになったのが、ニール・キャサディです。
個人的なエピソードを話すと、2009年にブルックリンのロフトに住むことを夢見た私は、友達のカップルが住む同区ブッシュウィックのロフトと同じ階に、アーティストの友人とルームメイトになるべく、一緒に入居しました。それだけでもう、自分はビートニク(ビートジェネレーションの思想に影響を受けたライフスタイルを実践する人たち)の仲間入りだと思い込んで、かなり浮かれていました。新居のペンキ塗りとドライウォール壁を設置する作業を、新しいルームメイトとしていたところ、ディーン・モリアーティみたいに朝から晩までハイテンションで喋り倒していた彼はニール・キャサディの大ファンだということが判明。その晩は2人でめちゃくちゃ盛り上がって、晴れて我が家のコンピュータのラウター名は“on the road”になりました。
きっと誰もが、ジャック・ケルアックとニール・キャサディのように、ロードトリップに行きたいし、アメリカを横断したいと憧れるのではないでしょうか。私も20代前半で、たくさんのバックパッカー旅行をしたり、ロサンゼルスからニューヨークまで車で走ったりしたことがあります。海外で車を運転すること自体が初めてだったので、標識の意味もあまりわからず、今考えるとかなり無茶をしたと思いますが、適当に進んだルートも、行き当たりばったりの出来事も、途中でした友達との喧嘩も、すべて楽しかった。でも、青年ではない今はもうできない。『オン・ザ・ロード』に出てくる“明日が来ないような馬鹿騒ぎ”や疾走感は、きっと青春時代特有のもの。だからこそ、より憧憬の想いが沸きあがるのだと思う。そして、憧れは強いのに、傷つきやすい人の心により響くのだと思う。最後のシーン、ディーンとの別れは、何度読んでも、まるで映画で見たようにヴィジュアルで思い描くことができます」
17世紀、オスマン帝国で奴隷の身となったヴェネツィア人は、自分と酷似したトルコ人学者に買い取られる。「自己とは何か」という西洋人の根源的な問いを通じて、各自の人生を賭けて確認する探究を、2人の関係の変化のなかに見事に表現した。トルコの西欧化問題を描き、2006年にノーベル文学賞を受賞したパムクの出世作。
4年前に失踪したトラヴィスが荒野をさまよい気絶する。彼はテキサス州パリの荒野に向かおうとしていた。少しずつ記憶を取り戻したトラヴィスは、息子とともに妻を探す旅に出る。ヴィム・ヴェンダース監督が家族愛や絆を、美しい情景と音楽で彩ったロードムービー。1984年、第37回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。
1959年の日本語訳は『路上』として出版された、ジャック・ケルアックの自伝的小説。ビートジェネレーションの重要人物、ニール・キャサディやアレン・ギンズバーグらと交流を持った作者が、自らの体験や友人をモデルにして書き上げた。アメリカ大陸の刺激的な放浪と新しい価値観は、ヒッピーのみならず世界中に影響を与えた。
取材・文/八木橋 恵
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