Culture
「私のバイブル」 vol.2/作曲家・伊藤明日香さん
自身が持つ才能を活かし、クリエイティブな生き方をしている素敵な人に、指針や道標となり、My Museの在り方を体現するような映画や本、アートをご推薦いただく「私のバイブル」。
2024.08.06公開
『海の上のピアニスト』
©1998 MEDUSA
第2回には、ロサンゼルス在住の作曲家、伊藤明日香さんにご登場いただきます。携わった最新のプロジェクトも、今季のエミー賞にノミネートされるなど活躍する伊藤さんの感性を刺激した作品とは? 伊藤さんの「耳と琴線に触れた」3つの作品をご紹介します。
「私が、作曲チームの一員として参加したからというだけでなく、アニャ・テイラー=ジョイ演じる主人公のべスというキャラクターに惹かれ、とても強く美しい作品なので、推薦します。ベスは幼いころからチェスの才能がありますが、天才がゆえ、人やまわりになじむことができない。人とは違う。友達もいない。天才という部分はさておき、帰国子女だった私は、新しい国や環境に移るたび、流行りの歌を知らなかったり、会話に入ることができなかったりしました。だから、孤独や疎外感を感じ続けたベスにすごく共感しました。
そんなひとりぼっちだったベスに陰ながら応援してくれるベニーという人物が登場します。チェスは1人で相手と戦う孤独なゲームですが、ソビエトは試合をチームとして挑む、だから個々でしか戦わないアメリカより強いのだ、と説明し、助け合うことの大切さを説きます。その言葉のとおり、モスクワで行われる大きな国際大会を緊張で迎えるベスのところへ、ベニーから一緒に戦略を考えよう、と国際電話がかかってくるのです。
そして、ベスは“ひとりで”だけれど、ひとりぼっちではなく試合の決勝に挑みます。私が担当したところではないのですが、3話ぐらいでベニーが登場するシーンには、ベニーのテーマと名付けられた音楽、正確には音のモチーフが流れます。
通常のベニーのテーマは短調の曲なのですが、そのベニーからの国際電話がかかってくるシーンでは、同じ曲でも長調に編曲されているんです。そんなところ、誰も気がつかないと思うのですが、音楽でこんなふうに人物を場面に登場させる、作曲家のカルロスの粋な演出に感動しました。その電話を受けたとき、もうひとりじゃないと知ったときのべスの驚きと喜びを、泣き出しそうな笑顔や表情で魅せたテイラー=ジョイの演技も素晴らしく、大好きなシーンです」
「圧倒的な映像美と誌的なシネマトグラフィで知られるドゥニ・ヴィルヌーヴが監督を務め、2018年に急逝したアイスランドの作曲家、ヨハン・ヨハンソンが音楽を担当した作品です。他のエイリアンムービーとは一線を画す映画で、もしも実際に地球人が異星人とコミュニケーションを取ることになったら、という設定やファーストコンタクトの場面はリアリスティックに描かれていますが、まさにすべてが未知との遭遇。なぜなら、誰もその場面に出会ったことがなければ、そのときの音を聞いたことがないからです。
映画などで使用される音楽には大まかに3種類あり、1つ目は映画のシチュエーション内で実際にしている、聞こえる、流れているであろう音。2つ目がBGMで知られるバッググラウンドスコア、いわゆる映画音楽。3つ目は登場人物たちが聞いているわけではない音だけれど、観客に話や演出を伝えるためにある、特殊効果としてデザインされた音です。例えば、スペースシップが出てくるシーンで、もちろん音が奏でられているのですが、それら3種にカテゴリー分けするのがここまで難しい音もなかなかないでしょう。
これは映画のテーマを伝えるBGM? 効果音でもあるサウンドデザイン? それとも本当に登場人物が、この宇宙船からの音を聞いているのか? 未知との遭遇を、音でも伝え、観客に体験させるところがすばらしいですね。
NASAの職員でもなければ軍人でもない、言語学者である女性主人公が、自分の才能や直感を信じて、未知へ挑む姿にも感化されましたし、映画音楽に携わる者として、ストーリーや構成にこんなにも完璧に合った音楽がもたらす効果に、とてもインスピレーションを受けました」
「公開当時、エンニオ・モリコーネが来日したので、『ニュー・シネマ・パラダイス』を観てモリコーネを知った母と一緒に、コンサートに行きました。この映画音楽の巨匠は、日本の大河ドラマの音楽を担当したこともあるんです。コンサートではそういった日本人にも知られた曲を演奏したらいいのに、彼が好きなのであろう無名の曲をたくさん披露して、モリコーネの性格を表すようで可笑しかったです。
この映画の主人公は女性ではないですが、豪華客船の中の世界しか知らない主人公や乗客が、アメリカやその象徴の自由の女神をみて感動するシーンは、アメリカに住む外国人としてハリウッドに挑む自分と重なり、共感しました。このオープニングシーンで、アメリカンドリームをつかみに来た者にしかわからない恐れや興奮を、とてもきれいな音色で表現していて、さすがモリコーネだと思いました。
世紀の分かれ目、1900年にちなんで、ナインティーン・ハンドレッドと名付けられた主人公は、船の中で発見されて拾われた赤ちゃんだったので、一度も船を下りたことがない。ピアノの才能があり、客船の、特にファーストクラスの乗客のために演奏して、毎晩喜ばれていて居場所を獲得している。ある日、船を下りることを決めるのですが、結局、下船しない。彼は、88基(ピアノの鍵盤)の世界に留まることにしたんです。
映画やエンターテインメントなら、勇気を振り絞って新しい世界へ飛び出すことのほうがドラマティックだし、内向的な人が挑むチャレンジのほうがいわゆる成功として描かれることが多いのに、こういう選択肢だってアリなのだ、と勇気づけられました。コンフォートゾーンから抜け出すことを偉大な挑戦や成功と、安易に描かず、一歩を踏み出さなかった主人公を挫折や失敗の象徴のように表現していません。エンディングには好き嫌いが分かれるとは思いますが、私にとっては、成功の定義を考えさせた、ありきたりなサクセスストーリーではないところに、この作品の美しさを感じました」
ウォルター・テヴィスの小説を基にNetflixでドラマ化された、天才少女ベスの波乱に満ちた人生を描いた成長物語。1950年代、身寄りを失い孤児院に預けられたベスは、中毒や妄想に取りつかれながらも、人並み外れたチェスの才能を開花させる。男性優位のチェスの世界で孤軍奮闘するベスは、伝統やライバルを打ち破っていけるのか。
突如、地球に現れた謎の宇宙船と知的生命体。軍に雇われた言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、“彼ら”と意思の疎通をはかる方法を探る。彼らが伝えようとした真相と人類が知るべきメッセージを描いた異色のSF感動作。第89回アカデミー賞で、監督賞や録音賞など8部門でノミネートされ、音響編集賞を獲得した。
大西洋を巡る豪華客船の中で発見され育てられた主人公は、類稀な作曲とピアノの才能があった。恋に落ちた男は、人生で初めて下船の決心をする。第57回ゴールデングローブ賞で最優秀作曲賞を受賞。『ニュー・シネマ・パラダイス』で知られるジュゼッペ・トルナトーレ監督とエンニオ・モリコーネが美しい音色で彩った作品。
取材・文/八木橋 恵
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